2025年12月26日金曜日

深夜族には人権はない--2

深夜族といっても遊んでいる深夜族ではない。夜中に働かねばならない人のことを言っている。どんな世界でも夜中に起きていなければならない人がある。それがあるから世の中が回っている。


所説はあるだろうが深夜勤務はあまり健康的ではない。そもそも人間のリズムとは違うのだ。私は交代制を経験したがこの場合の交代制は昼の者とバトンタッチするというだけでなく自らの勤務時間が一週間ごと、あるいはひと月事に入れ替わる。あるときは昼間、つまり一般労働時間勤務をしてあるときは夕方から11時過ぎまでの勤務だった。相手方の勤務時間と入れ替わるのだ。

これは一方にだけ負担がかからぬようにとの配慮だったろうが、実はなかなか大変で、帰宅してすぐに布団に入るというわけには普通はいかず多少のものを食べてしばらくゆっくりしてから布団に入る。大体二時、時には三時を過ぎることもある。そうなるとドンドン時間がずれていって時差をうまく解消できないのだ。昼間勤務に身体を戻すのが大変。なかなか朝起きられなくなる。できる人はいつ布団(もちろんベッドでも構わないが)に入ってもぐっすりと眠れている人だ。

深夜11時から朝までの勤務はそれに慣れれば割りと続けられるものだった。だがそれも、日が昇っている間に十分に睡眠がとれる。これが条件だ。でなかったら、本当にふらふらになる。事故の危険性すら出てくる。

不幸なことに、越したばかりの当家の周辺はまことに厄介な世帯が集まっていた。皆犬を飼っていて、それが全てうるさく吠える。眠れたものじゃなかった。

2025年12月14日日曜日

記憶が食い違う不思議--3

こんな時、本来のファイルをうっかりどこかに保存していないかと考えるものだ。運が良ければそういうこともあるかもしれない。が、現実には少ない。あれこれ探して結局時間を無駄にする。


しょうがないから上に重なったデータを手作業で取ったのだった。二時間弱かかったろうか。これはまったくの徒労なのだ。その日の作業を終えるたびに余計なことが起きていないかを重々確かめて翌日の作業になるのだがハラハラドキドキだ。デジタルは間違えないというけど、本当にそうなのかと思ってしまう。

過去にも何度か不思議なことがあった。消したはずのないデータが消えていたこともある。最も不思議なのは、あるレイヤーとリンクするような格好でデータが消えてしまったことだった。作業の照合のために原図を上部レイヤーに置いてチェックするが、終わってからそのレイヤーは削除して置かねばならない。そのとき何気に気楽に削除して作業を終えた。が、後にチェックすると消してはいけない下のレイヤーの本図まで消えていたのだ。7時間ほどかかった本図だから、これをやり直すしかなかった。これなど、どんな勘違いをするだろうか。その時に図がちゃんと揃っているかを確かめていなかったのはミスだが…。

今回は、とにもかくにも作業を終えて納品することができた。しかしデータを送ってから何か言ってこないかとこれも不安になるのだった。

2025年12月8日月曜日

記憶が食い違う不思議--2

私は日々パソコンでの作業を続けている。何をやっているかはともかく毎日作業をしてデータを上書きしている。作業を終えるときは手動でバックアップしている。古い人間なのでこれが最も安心だと思っている。



その日、 一応のことをやり終えて作業を終えた。あとの作業がどれほど残っているかをいつも頭の中で考えている。誰でも似たようなものだと思う。その仕事を一旦終えて他の作業に移った。まあ色々抱えているわけだ。しばらくそちらの作業を続けてこちらの作業に戻った。どこから続ける状態なのかは概ね頭に入っている。まだボケてはいない。

だが、ここで問題が起きた。ファイルを開いたら自分が記憶している状態と全く違うのだ。やったつもりもないデータが貼り付いていたのだ。まさかと思いバックアップを開いたらそれと同じ状態だった。

呆然とした。作業を継続する前にこれを取っていかねばならない。まずはこの時間的ロスにゾッとした。

違ったファイルを開いている可能性?それは全然ない。私はワンドライブは使わずにパソコン内の一か所で保存していてそれをUSBメモリーにコピーしている。間違わないようにその時でもソフトでファイルを開いている。そうすると手元のファイルを間違って消してしまったような場合でもソフトから警告が出るし、念のためにもう一度わずかな作業をして、例えばレイヤーのロックを外したり元に戻したりをしてもう一度手元のファイルを上書き保存しなおしている。痛い目に何度も遭っているので習性になっている。

だから、私としては、間違いのないところをキチンと確認して作業を終えているわけだ。ところがファイルを開くと違っている。

これをどう考えればよいだろうか。


2025年12月1日月曜日

記憶が食い違う不思議--1

夜勤者の話は続くのだが、ここでちょっと話を割り込ませる。それなりの理由があるが、これがもし自分の記憶に関することであったらまことに情けない限りだ。そろそろ衰えてきたとしか言いようがないが、自分としては少々納得が出来ないのだ。 

記憶がすり替わってしまうということは、実は思っているより多くて、例えば過去の記憶などもかなり自分で塗り替えていることはあるそうで、そういうのを本でよんだりしたら、ふーん、そうかなあなどとも思うが、確かにこれは完全に別の記憶を作り上げてしまっているなと自分でも結論せざるをえないことを実際に確認している。そのことは機会があればいずれ記すつもりだが、今記述していることはつい先日のことだ。

2025年11月20日木曜日

深夜族に人権はない--1

深夜族という言い方はちょっと誤解を招くかもしれない。自分はそもそも勝手にその習慣に染まった人間だが、それでも母を介護していた時は昼型だった。と言うよりそもそも睡眠は十分にとれず、さらに病院や介護機関との関係でどうしても朝や昼間は行動できるようにしておかねばならなかった。


それより前、 自分には仕事がない時があった。不況だったし年齢的に普通に常識的に雇ってもらえる確率が少なかった。確率が高かったのは深夜勤務だ。雇ってもらえればどこでもよかった。物事には優先順位と我慢の順位がある。前にもちょっと書きかけたが、深夜に働く人もあるから世の中はどうにかなっている。しかし、自分も体験者だから言わせてもらうが、深夜勤務の人間にはかなりのところ人権はない。

深夜働く人は当然昼間眠るのだ。私の場合も23時からの勤務だったので夕方過ぎに起きてあれこれと多少のことをやって22時ごろの電車にのって通う。朝の電車に乗って帰宅する。慣れればそんな仕事も悪くはないだろう。

ただし、周りが静かであればの話だ。

2025年11月16日日曜日

睡眠時間をどうにかしようと思うけれど--2

不安ごととはあまり関係のないことと記しているようだ。でも構わない。なんでもいいのだ。 ダラダラと書く。不安と言えば少々不安だし。


勤めていたころはさすがに深夜起きているわけにはいかない。仕事をしている昼間が大変。しかしある事情で上京して以後しばらく仕事がなかった。そんなときまた深夜族に戻った。ビートたけしや中島みゆきなどがやっていた時代だ。1980年代。もうほとんどを忘れてしまったが、たしか深夜の三時から明け方までやっていて、日曜日だけが3時で放送終了だった。他の時間帯にどんな放送がされていたのか記憶はすっかり消えている。

2025年11月13日木曜日

睡眠時間をどうにかしようと思うけれど--1

だから、睡眠時間を調整しようと思い立った。いや、そんなことは毎度やっている。少々無理して早い目に起きて、ということは睡眠時間が短くなるのだがとりあえずはやむを得ない。あるいは逆に多少の無理をして睡眠時間を後にずらす。


どっちも簡単じゃない。言えることは、せっかく昼型に戻してもすぐに夜型に戻ってしまうことであって、これは若いころから夜更かしが日常であったせいもあるだろうと思うが、自分は夜の神秘が好きなのだ。

神秘などとはもう今では笑い話。夜でも寝ない連中が普通に存在する世の中では神秘などというものはないが、これはしかし昼間のキラキラした明るい雰囲気ではオカルトは語りにくいのと同じであって、つまり夜はその性格を持っているのだ。

ラジオの深夜放送を多くの人が聞いて育った。オールナイトニッポンがあったし夜ともがあったし、関西にもABC電話リクエストとかアナウンサーコーナーなどというのがあって、ガキの頃はだいたいそれを聴いていた。あの当時は夜中の三時で放送は終わるのだが、それを聴いてから眠ったのだ。さりとてすぐにぐっすりというわけにもいかず、グズグズと寝るか寝ないかの状態で朝を迎えたと言ってよい。そんなで学校へ行っていて、教科書で頭を隠して寝ていた。そりゃ成績も振るわない。でも、学校の成績など自分にはどうでもよかった。あの嫌な教師連中から蔑みでみられるのが精々だったがそれさえ自分にはどうでもよかった。

つまりそんなガキたれが大人になったのだから、日常だって吸血鬼みたいなものなのだ。

2025年11月11日火曜日

寝落ち

いつの頃からか、目覚めが快適じゃない。なにか取り残したような、不安ともなんとも言えぬものに包まれている。何かが気がかりというか、つい考えてしまうが、別に不安視するほどのことは事実上はないのだ。


心当たりと言えば、 まあないこともない。既に若くはないし色々問題は抱えている。いつまでこうしていられるかということもある。でもそれは世間の概ねにもあることであって、特に何かが不安というでもない。

若いころは苦労した。仕事の面でもあまりパッとしなかったし使ってもらっている事業所でも良い関係は築けなかった。何より金銭面で辛かった。親が借金を抱えていた。自分は仕送りをし、毎日が黒雲に乗っかかられているような感じだった。

でもその多くは片付いた。今はむしろ気楽な状態だと言える。なのに、なぜだろうか。

これについて、もしかしたらの記事をどこかで見かけたことがある。それは寝落ちだ。自分はいつの頃からか寝落ちでなければ眠れな人間になっている。

寝落ち…なんだろうかこれは。つまり眠りにつくときに明かりを消して、ちゃんと寝るということができなくなった。何かの本を読みながら、いつの間にか寝ている状態だ。明かりを消して寝るぞという意識になると眼が急に冴えてくる。これを改善できないままだ。

当然明かりが灯ったままだ。枕もとの薄暗いランプ。人は真っ暗な状態で眠れない条件が続くと気持ちが鬱っぽくなってくると。

もしかしたらと思うのだ。

2025年11月8日土曜日

挨拶をしない人が増える

いつの頃からか、以前見なかった人を見る。まったく知らない顔。最近越してきた人たちだと思う。朝のゴミ出しで何度か遭遇する。ゴミ置き場はこの集落には二か所あっていくつかの班に分けて利用している。だから、ここを利用している人なら近くの隣組のどこかになる。新しい顔を三人見る。


近隣であればすれ違えば誰彼なしに挨拶をしている。そういう習慣だ。当たり前だと思う。ぶすっとしている方が気まずい。だが、しない人がある。 こちらが声を出して挨拶しているの無視されるのはとても不愉快で気味が悪い。そういうのが三人ほど居る。

三人のうち異様な主婦がいる。ぶすっとしたまま無視は無視なのだが、その雰囲気が異様だ。小太りで世間に文句があるように顎を突き出して歩いている。薄目で睨むような目つきでニコリともしない。いったい毎日の何が不満であんな顔つきになるのか、すれ違うたびにそう思う。まだ暗がりの早朝にいきなりで遭遇するとギョッとする。あんなのがもし隣りだったら…。亭主はどんな奴なのかとかつい思ってしまう。

他人は他人で知ったことではないが、戸建ての弱点はそこだな。せっかく住宅ローンで手に入れても隣りがわからない。購入時にそれなりの用心をしても途中で入れ替わることがある。隣人のトラブルは時に事件に発展する。理由もなくまるで𠮟りつけるようなものの言い方で初対面なのに絡んでくる町内のおばさんのことを以前書いたっけ。何らかの情緒異常と思えるが、こういうのは町内には一人か二人は居るものなのだ。

大体時間がわかったので、その主婦と遭遇しない時間にゴミ出しをしている。それも面倒と言えば面倒だが、異様なものからは努力して遠ざかる。

2025年10月24日金曜日

ガキの頃の不愉快なこと

中学生時代に不愉快な男がいた。そいつの名をナ〇モトという。 癖の悪い嫌な奴だった。二年三年と同じクラスだった。名簿順で私はそいつの二人後だった。本来は…。


試験の答案を貰うとき、誰みなもそそくさと教師の前まで行って受け取ってくる。それだけ。でもそいつはそうじゃなかった。グルッと回り込んで教師と並ぶのだ。そうやって、自分の答案を受け取るときに次の生徒の答案を盗み見るのだ。このタイプはチャンスがあれば他人の日記を必ず盗み見る。その狡さは、きっと親譲りだろう。こういうのはだいたいがそうなのだ。

2025年10月8日水曜日

別の異音が聞こえ始めた

ちょっと前に話しかけてみた近所の主婦は、あれは自衛隊のヘリだと言っていて、確かにそれはそうなのだが突然プツンと音が途絶えるのがなんとも奇妙なのだ。そんなことがあるかな。音が途絶えるということは回転翼が突然止まるということだろうからヘリなら落ちる。なんともそこが奇妙なのだ。ジワーッと音が接近してきて結構大きくなることもあるがそこで急に途絶える。どう考えても変なのだ。


それにこの頃は、別の音が聞こえるようになった。これは遠くでカーレースでもやっているような音で、これに気付いたのはそんなに前ではない。ウーンと唸るような音が徐々に共振するような感じで大きくなってきて、これもやはりピタッと止まる。双方で共通しているのは大きくなってきたと思ったらピタッと止まることだ。どういう加減なんだろう。

こっちの音に関しては、最初は家の中の問題だと思った。エアコンや扇風機やパソコンを複数起動しているので、これはどれもかなり壁や床を振動させている。これが周期的に家を共鳴させているのではないか。

確かめるのは容易だ。全部のスイッチを切ればよい。しかし音はこれとは無関係であることが分かった。

従ってこの頃は、あのヘリの回転翼のような音とカーレースのモーターのような音の二種類が聞こえている。

近所の人は、特に何等の関心も持っていない。平均的人間というのはそういうものなんだろうか。時にはかなり大きい音がするのだけど…。

先の主婦はやや左翼系で自衛隊に批判的だ。そういう人はやっぱりと思うのだな。敏感なんだな。確かに自衛隊は飛んでいる。その時ははっきり音がしている。遠ざかるのもわかる。ピタッと止まったりはしない。

2025年9月20日土曜日

何としても腑に落ちないことがある--戸沢橋のあの事故

しかし、事故の日付をみて驚いた。2015年3月5日とある。 

そんなはずはない、自分は2018年にリアルタイムのニュースでこの事故を知った。自分はそれ以前にこの事故のことを全く知らない。もし可能性があるとしたら、テレビが当時の報道を伝えていたのか。自分にはとてもそうは思えないが…。



事故は妙なタイミングの絡みだ。女子高生は多分毎日この橋を自転車で渡っていた。女子高生の自宅は橋の西側にあり、学校は橋を渡った東側にあった。おそらくいつも通りのことだった。違ったのは、向かいから年配の女性が歩いてきたことだった。いや、それだっていつものことだったかも。女性はリュックを多分左肩にかけていて、女子高生はこれを裂けようとしたがすれ違い様に接触、引っかかったような感じだろうか、女子高生の自転車は転倒し身体が投げ出され、すぐ後ろに10トントラックが走っていた。後輪に轢かれたとあるから、運転手は必至で前輪を操作したのだろうか、しかし大型車は急には止まれない。

2025年8月29日金曜日

何としても腑に落ちないことがある

脳が勝手に記憶を作るのか、たしかにそういうことはある。長い年月の間、昔のことを違って記憶していることは普通にある。それは否定しない。しかしたった今のことを間違って記憶するのはどういうことだろう。ただの勘違い、と解釈してしまえばそれで終わってしまうけど。


2018年のある日、仕事をしながらテレビニュースを見ていた。仕事をしている時あまり画面はみないでニュースを聞いているのだ。そのニュース番組の名はもう覚えていない。適当にチャンネルを回していた。そのとき、神奈川のある川にかかる橋で、自転車で登校途中だった女子高生が転倒して10トントラックの後輪に轢かれた、と報じていた。その時画面に映っていたのは女性アナウンサーだった。名前などは全く知らない。

2025年8月20日水曜日

記憶が忍び込む奇妙さ

たしかこうだったはずだが、実際には違っていた--と言うことは割とある。あれなどはどんな理由で起きるのだろうか。


父が亡くなった時、隣り街の斎場へ出かけた。叔母がひとり駆けつけてくれて、私たちは既に車に乗らぬのでタクシーで棺を運ぶ車の後を着いて走った。父の老後はやや失意だったので少ない人数でのおくりだった。その帰り、多分バイパスを走っていて車窓からかなり大きくて鉄さび色に変色したコンクリートの建物が見えた。私は後部座席の右に座っており、その窓から見えた。周りの建物と比較するとかなり巨大な建物でこんもりした山のような林を背にしていた。下の方は道路の側壁に遮られて見えなかったが、多分畑だったろう。

2025年8月8日金曜日

大塚のことで思い出したことがある

大塚に住まいしていた時のことを以前記した。 最寄りは大塚駅だったが住まいは西巣鴨で都電の巣鴨新田が近い。そのアパートでの奇怪な出来事を記した。その話を信じるかどうかは自分には関与のしようがない。ただ、あったことはあったこととして記述したまでだ。



当時の経緯は--大塚--で検索してもらえれば良い。世間に少々のことがあってもそっちへ神経の行きようがない。だから、当時は知らなかった。

付近は路地が多く、今から思うと妙にジメッとした感じだった。都電の巣鴨新田が近いということは、その駅名からして昔は田だったのだろうか。少なくともカラッとした陽性の感じではなかった。

2025年8月1日金曜日

例の異音のことを近所で話してみる

自衛隊のヘリでしょう。近所の主婦はそう言っていた。音には気づいている。どころかかなり大きいときがある。 


ああそうですか、やっぱりね。そう思うのだが、それにしても音が急にとまってしまうのはどう説明すればよいだろうか。それを言うと、あ、そこまではわからないけど…。主婦はそういう。つまりその程度でしか気になっていないのだ。

2025年7月18日金曜日

瞬いて見えるとはどういうことなのか

先に結論を言っておくと、現状では我慢できる程度には落ち着いている。手術後はまる一日目を隠して保護する。翌日これを取ってもらう。パッと明るくなる。白内障手術をした人は例外なくこれを経験する。当日薬を貰って一週間これを点眼して保護メガネで過ごす。一週間後に瞳孔を開いて手術がうまく行っているかどうかを確認する。ここまでは順調だったわけだ。



術後に瞳孔を開くと、恐らくだれもが経験するのだろうが、様々な奇妙な症状が出る。光ったもの、例えば車のライトなど、その周りに綺麗な光の輪ができる。光点が複数あると全てに同じことが起きる。街灯、部屋の窓の明かり。皆同じだ。

こういうことを先に説明してくれないから、これって取れるのかと不安になる。取れないと綺麗などと言って居れない。

2025年7月12日土曜日

術後に異常

話を戻す。これは眼に関する話の続きだ。元々右眼には異常があった。それは黄斑部の異常で、自分の場合はそこに幕が貼り付いてしまって像が歪み、かつくすんで見えていたのだ。手っ取り早く近所の眼科でそれを説明したがあまり本気にはしてもらえず、こちらから強く依頼して検査をしてもらったら、その時に瞳孔を開いてストロボを炊いたら以後様子が変だということまでこれまでに述べている。



瞳孔が元に戻っても見える象が変だ。二つに見えている。薄い象が左にブレるように見えていてこれが消えるまでに二日か三日かかり、それを別の眼科で伝えても否定されたのだった。検査は両眼をやったが異常が出るのは右だけだ。

2025年7月5日土曜日

奇妙な一日--その2

しかし、それはそれだ。駅前に居るのだ。この頃ちょっとお留守の店に行ってやろう。きょうは記念にすべき日なんだ。そんなことを思った。しかしお茶を買っている間に一本乗り遅れ、次は30分も待たねばならない。



一瞬迷った。逆方向なら直ぐに出る。ならそっちへ行こう。私は地元で飲む気がしない。

大体はそんな感じで電車に乗った。飲み代の他に電車賃がかかる。でもそれはいつものことだ。今言っても始まらない。

だが、予定していた方向でなく逆へ行った。それが躓きの始まりだった。街ではどの店も満席で入店を断られた。この頃は本当にコロナを忘れたかのようだ。完全に元に戻った。女将が申し訳なさそうに謝るが、こういうときはしょうがない。

2025年6月29日日曜日

奇妙な一日

ちょっと話を間に挟むが、不思議と、なぜかそういう日がある。後で振り返っても、何かあの日は変だったというような…。

ひとつの懸案が片付いた日でもあった。さっさと済ませて置くべきことを、何故かその気になれないでズルズルと後回しにしていたが、ようやく終わった。ルーズな性格が災いしているのだが、それでも自分にしては割と早く片付けた方だ。



事務所で手続きをする、その場所へ出向こうと思っていたら、隣りの、やや問題のある娘がいつにない服装でいそいそと出かけるのが見えた。普段から疎遠だからあまり声もかけないが、この日は事が片付くので気持ちが弾んでいた。私は自転車で、先を歩いていた娘に声をかけた。振り向いた娘--のはずが、他人だった。見たこともない。

2025年6月23日月曜日

ある日突然巨大な怪物--3

ここまで書いてきて、多分読んでいる人は作り話だと思っているに違いない。起きていることがあまりに突飛だ。しかしそれは自分にはどうでも良い。世間に信じてもらっても始まらない。それで治るものでもない。



つまり、 いきなりそんなのが目を覆うように出現して、それが消えないままだとすると、自分の残りの人生の不自由はある程度は覚悟せねばならないだろう。だったらどうする。咄嗟に考えたのはそれだ。

2025年6月11日水曜日

ある日突然巨大な怪物--2

 表現と例えが難しいが、強いてというならこれと5月16日に用いたイメージがもっとも近いだろうか。ある種カレワラにも近いかも知れない。異形のカレワラが無数に絡みついたとでもいうか。



異常は両目にある。だが右が顕著だ。当初は日ごとの感じでもなかったのだが、時には状態の悪い日があった。その朝も、段々モニターの文字が判別しにくくなって、しかもコントラストがなくなりつつあるので薄い文字がかなり見え辛い。こうなったらむしろ右を眼帯で隠してしまった方が楽かも知れない、などと思ってしまう程だった。

2025年6月6日金曜日

ある日突然巨大な怪物

そう例えても許されるだろうと思う。象が二つに見えること、そして回復に数日かかったことを以前に書いた。だが、問題はそれのみでなかった。とにかく眼の衰えは両眼にあって、特に右が良くないのだった。検査のために瞳孔を開いてストロボを炊いた。



いや、 検査をとやかく言っているのではない。それはこちらからお願いしたものだ。象が歪んで見えると伝えても、それはドライアイのせいだと最初医師は軽く考え、しかし自分にはそうは思えなかったから詳しい検査を依頼したのだった。そして結果を確認できれば対処の仕方があるのか、誰でも気になるのはその辺だろう。

2025年5月30日金曜日

医者は信じなくても私は嘘は言わない

それを言ってもしょうがない。幽霊を見たという人を信じるかという、それに似た話だ。だでも、どこかできっと同じような症状を経験している人がいるはずだ。そう思った。ひとつのことが一人にだけ起きる。この場合はその方が考えにくい。



だが、それを探しても見つけられるかどうかなどは全く分からないし、多分時間の無駄だろう。見つけたとしても、それを医師に聞かせて納得させて何になる。ああそうですかの類だ。医者はそもそも普段通りをやっていて、そこから外れるものなど研究の対象と言うより医療の対象じゃない。

そう腹を括っていたが、しかし私は偶然に同じことを述べる人を見つけた。この人はブログを立てている人ではない。その類の動画にコメントを寄せていたのだ。片方の眼だけで見ているのに、象が二つに見えると。

ああ、これだ、やっぱり同じ人は居る。どういうことでそうなるのかは知れないが、出ている症状は同じだ。その人が今どうなっているかは知らないが、多分時間と共に収まったのではないか。私がそうだったから、多分似た道を辿る。ただその症状のさ中にある者は、ずっとそれが永久に続くのではないかと不安になるのだ。

この不安に寄り添うのも医師の仕事だと思う。残念ながら、なかなかそうはならないのだが。

2025年5月24日土曜日

あのストロボは強すぎたのではないか

そんな感覚を持っている。眼底の写真を撮るために過去に同じことをやったことがあるが、それよりもずっと光は強烈だった。私にはそう思えた。音さえしたように思う。



しかしとにかく、一晩寝れば瞳孔も普通に収まる。それが過去の経験だ。事実左は何ともなかった。でも右は瞳孔が戻っても物が二重に見えるという奇妙な形になった。向かって左にややズレた位置に薄く同じものが見えている。これがなかなか取れない。

2025年5月16日金曜日

まさかがあるのが世の中というもの

私は作り話はしない。従ってネタがなくなったらこのブログは終わり。更新する意味がない。ここに書くことは、他人がどう解釈しようが自分の身に起きた現実だ。



思い込みとか錯覚だとかいう人がるが、非難はしない。自分から見ても奇妙な話をする人は概ね如何わしく見える。だからそれは良いのだ。けれど、自分は作り話はしない。

上のイメージは適当にその辺から似たものを持ってきただけのものだが、実際はもっとイカに似ていた。これを何と思うだろうか。

眼の様子が変なので検査をしてくれと近所の眼科へ出向いた。その眼科は症状を述べてもあまり真剣には受け取らない人で、いいから一度検査をしてくれと要望したのだった。だがその検査そのものが結果的には失敗だった。

この種の検査は瞳孔を開いてストロボを炊く。だが、これが眼にはもっともダメージがあるのだと悟った。左は何事もなかったが、症状の強い右に様々な妙なことが起きるようになった。それが切っ掛けという証拠はない。が、タイミングはずばりだ。瞳孔が戻っても普通に戻らないのだった。

今は長い記事は書けない。短く更新する。

2025年5月10日土曜日

あの小説を読んでいた頃

もう何年前か。小池真理子さんの小説を読んでいた。墓を見下ろす家----。角川ホラー文庫の装丁を藤田新策とおっしゃる有名な画家さんが手掛けていて、この方は確か宮部みゆきさんの一連の小説の装丁も描いておられたと思うが、ピッタリのイメージであって、ぼんやりと眺めてしまうものがある。ちょっと近い所では田地川じゅんさんの絵も雰囲気があって魅せられるものを感じる。



絵に関してはいずれ機会があればと思うが、 墓を見下ろす家を読んでいた当時を区切りとして、自分は、身辺の出来事や心境がいささか変わってしまったように思う。小説そのものはいわゆる幽霊マンション式なのでここであれこれは省くが、つまりこれを読んだ直後に自分の眼に異変を発見したのだった。だから、今も振り返って、ああ、あれを読んでいた時期だなと思うのだ。

2025年5月6日火曜日

医者通いが始まった

僅かな間に何度通ったろうか。検査ばかり繰り返して、その度にダメージを感じる。案外放っといた方が良かったのではないか、そんな気さえする。医療費はもちろんだが、時間が取られる。



元々あまり丈夫な眼ではない。若い頃に悪くして、以後は不自由を過ごしてきた。よく今まで持ったものだと思う。それを思えば、今の状態はそう嘆くものでもないかもしれない。人にはそれぞれの人生がある。

2025年5月1日木曜日

古傷が痛むということがあるだろうか

そんなことはないと思っていた。 確かに時代劇などではよく聞く話だ。が、現実にはどうなのか。自分にはこれと言ってそんな経験はない。いや、なかったというべきか。



もう何年も前にガラスの破片を突き刺したところがある。親指なのだが、細かい破片は怖いと思って直ぐに洗い流して、しかもその部分を何度も吸って血を吐き出した。大した傷でもないのに妙に鋭い痛みがあった。ナイフで切ったようなのとはちょっと違う。一応消毒して絆創膏を巻いて以後適当な時間が経って忘れていた。何年も前なのだ。

2025年4月27日日曜日

例の異音がかなり近くで聞こえた

やっぱり飛行機なんかじゃない。明らかにどこかの民家から出ている。昨夜はしかも遠くない。自家発電機が回るような音。



アッと思って直ぐに外へ出てみたが、音は既に止んでいた。まるでこっちを見ているみたいだ。発見されてなるものかと。

しかし、そうなるとそれはそれで奇妙だ。以前は明らかに別の方向から、しかも距離のある所から響いていた。

これはいったいどういうことか。自家発電機を備えた家が何軒かあるのか。しかも僅か数十秒だけ聞こえたりする。

いつか明らかにしてやるぞと思うが、外に出れば止まるしで決め手がない。近所に話しても誰も知らぬというだろうし、現にそうだったしでその糸口すら相変わらず見当たらない。

2025年4月19日土曜日

あらたな不安

いや、不安はずっと前からあるのだ。これに関して気付いたのはもう三年近くも前だ。 しかも振り返ると、その前兆は更に数年前に現れていた。なんとなく妙な具合だなとは思っていた。



それは一旦収まったかに見えた。が、錯覚だった。その状態に身体が慣れたのだろう。しかし物事は進行する。やがて顕著になった。

試行錯誤を繰り返した。あのせいではないかこのせいではないか。それを解決するために随分な時間と金を使った。が、一部を除いて大方は外れた。

あまり詳しくは述べない。ここはそれを語るブログではない。少し結論を言うと、医療機関で処置を受けねばならなくなったのだが、これに関しては世間では意見が様々で、実はAIの回答ですらあまりあてにならないと思う。

そのこととともに、以後は医療機関とずっと付き合わねばならないことだ。これが煩わしい。膨大な時間を取られる。そもそも私は別件で問題を抱えている。

命には別条ない。そんなことではないが、厄介なのだ。面倒なら医療機関に頼らないこともあり得る。どちらを選ぶかは判断が難しい。私は素直に医療機関の厄介になることにした。しかし結果には常に不安が生じる。

しょうがないな、そんな諦めが今は肝心なのかも知れない。なるようになるということ。抵抗のしようのないことには抵抗しても無駄だ。そもそも衰えというのはそういうものだ。

残りの人生をどうしようかと、ふと考える。

2025年4月12日土曜日

その後も例の女性と遭遇しているが

視えるというあの女性だ。何度か居酒屋で遭遇しているが、あっちが完全に無視しているので視線を合わさない向きに座っているならあまり問題はない。来てるじゃないか、とママに言う。知らない顔しときなさい、とママは言う。こっちも無視してろというのだ。女性に対しては全体がそんな感じだ。



あっちこっちから敬遠されているという割にはいつもグループで店にやって来る。いつかカウンターに居た男がなにやら電話していると思ったら、多分女性を呼んだのだと思うが、しばらくするとやってきた。男は席を移動して女性の近くに座った。どう見ても親しいのだ。

話の割には親しい人も居るじゃないかとママに言うが、いや、あの娘はいつも一人よという。店の中のことだから違うものが見えているはずがないのだが、これがとても奇妙だ。私がその店で見る限り、女性がひとりだったことはない。

あてにならない本人の弁では、過去に100人近い女性を使って商売をしていたらしい。誰もそれを信じないが、どうやらはっきりしていることは、今は生活保護を貰って近くのアパートに居るらしい。生活保護でそんなに飲めるのか。この周辺では出禁になっている店もあるが、出禁にならない店で飲んでいる。店も商売だから、よほどのことがないと出禁にはしないが、出禁の店ではなにがあったのだろう。あまりほじくってもしょうがないが、出禁とはっきり言った訳じゃないが、もう来ることはないと店は言う。それなりのトラブルがあったのだろう。出禁にならない店でも他の客とトラブルがあるので鉢合わせすると厄介なのだそうだ。

ピントがイマイチこないが、それはそれで奇妙な女性だと思う。調べれば小説の一本くらいは書けるだろうか。案外豪傑なのかも知れない。

2025年3月25日火曜日

美の山公園の心霊スポット?

先日某居酒屋で何気にそんな話が出た。美の山公園に妙に陰を感じると。過去に登ったことのある人たちが揃ってそういう。話の何から始まったのか覚えていないが、そんな話を聞いたらちょっと調べたくなる。



子供の頃にハイキングで登ったとかの人もあって、あまり陽性の明るい雰囲気には感じなかったと。 お店の女将、その娘さん、居合わせた客。これらが揃って合わせるのだ。いったい雰囲気の何がそんなに陰気めいて感じたというのだろうか。或いは客と女将とで私を担ぐために話を合わせたのだろうか。

2025年3月22日土曜日

異音続く

昨夜、というより今朝の三時ごろ目覚めた。トイレに起きてもう一度寝ようと思ったら、遠くで例の異音がしているのに気づいた。



遠くだから音は小さいが、それでもはっきりとわかる。しかも聞こえてくる方角が変わったりしている。音の強弱もあって、遠くなりにやっぱりこっちへ近づいたり遠ざかったりしている。

夜中のことであるし、音の大きさからして外へ飛び出しても何かが掴めることはない。今までだってわかったことなんてないのだ。ただ方向と音の強弱だけを聞こうとしたが、その内に眠ってしまった。

しかしどういうことだろう。ドアを揺するくらいに大きな音だったりすることもあり、遠くで鳴っていることもある。しかも方向はどうやら一定しない。

この音に気付いている人が一人でも居ないかそれとなくなるべく多くの人に訊いてみようと思うが、まあくたびれ儲けだろう。近所は誰も鈍感で害さえなければ何があったって気にしない。

しかし人間は僅かな違いにも気づくことは大事だ。なんといってもこれは好奇心の問題でもある。

時間と方角と音の大きさに法則性がない。以前飛行機かもと言ったが、もっと例えるなら地下で工事でもしている感じだ。あの道路工事特有の音。まったく一緒ではないが似ている。

だが、近所で道路工事なんて見かけない。年末に多くなるというあれだが、周辺でも見かけたことがない。もし地下工事ならとんでもなく広い地下空間だろう。

あり得ないと思う。

2025年3月13日木曜日

異音またしても奇怪なり

前の日曜日、つまり九日だったか、昼過ぎだったと思うがかなり大きい異音が轟いていた。それは何種類かあって、遠くから近寄って来るかと思えばパッと止まる。それなりの時間それを繰り返した。これまでより大きいというのは、戸板を揺さぶったからだ。カタカタと音がした。空気を振動させるくらいなのだ。


何種類もあるというのはどういうことだろうか。音を発するものが幾つもあるということでしかない。それが混ざって鳴っていたりする。

これはかなり頭を悩ませる。以前音の出所をついに見つけたと思った。多分どこかの家屋で発電機のようなものを動かしている。実はもう何十年も前だが、発電機で暮らしている人が近くに存在した。どういう仕組みか知れないが、いくらかは節電していたのだろうか。その音と似ているのだ。と言ってもエンジン音だから似ているのも当然かもしれない。

こういうことがあると、近所に訊いてみるが、誰も知らないという。鈍感に生きているとしか思えないが、人は誰しも注意の向きどころが違うのでそれはしょうがないかも知れない。しかし誰も、というのは奇妙だ。

色々推理するが、振出しに戻った。音の出所は結局わからない。時間も関係ない。夜でも昼でも。とするとやはり自衛隊辺りの航空機かとも思うが、突然エンジンらしき音がピタッと止まる。飛行機なら落ちているだろう。しかも遠くから段々接近してくるような聞え方をすることも多い。そして随分近くへ来たと思ったらピタッと止まる。それを繰り返す。

害、という程のことはない。それだけのことだ。自分が困らなければ人はその程度のことにあまり関心は持たない。だが、変ではないか。何故音に遠近があり強弱があり種類があり、ピタッと止まったりを繰り返す。

何か理由があるはずなんだ。

2025年3月3日月曜日

ある日ゴミ屋敷になる不安

私は子供の頃から整理整頓が苦手だ。その事では何度も親にこっぴどく叱られてもきた。でも治らない。今も整理が悪い。ブログの整理もきっと他人より悪いと思う。でも生きていて、そのことで他人にはそんなに迷惑をかけていない。そんな意味では普通に世間の範囲だ。しかしこれが明らかに逸脱してくる理由はなんだろうか。



原因はあれこれ言われている。ネットをググればすぐにわかる。でも判っていても解決できないからこうなる。分かっていても解決できないメカニズムがわからないのだ。

私は必要なものに関しては小心なほど神経質だが、適当なものは適当で良いとする性格だ。部屋の掃除などではプロにでもならない限り飯は食えない。だから忙しいと後回しになる。でもさすがにとおもったら適当な時期に掃除はするし、時には模様替えを兼ねて大掃除をする。何日もかかる。でも精々半年一年でくたびれる。そんな日常を生きている。しかしだからといって世間でいうところのゴミ屋敷にはならない。

ハッキリした境界は、日々のゴミ出しをしているかどうかだ。これが続いているなら心配はない。精々片付いていない程度だ。でもこれがなくなったらそこからは完全に変わってしまう。

捨てられない性格だからとか、そんなことがよく言われているが、確かにそれは一因ではある。でもそれだけではゴミ屋敷にはならない。普通に世間のゴミ屋敷は、もう出入りすらままならず、車もとっくに朽ち果てて、多分風呂もトイレも使えない。実際にそうなっているところがある。だから、自分の尿をペットボトルに入れ始めたりする。

でも、ウンチはどうするんだ。第一ペットボトルだって永久にあるわけじゃない。どこかで足りなくなる。風呂だってとっくに使えない。先日出くわしたところは近所に買い物ができる施設がない。あっても遠い。銭湯もない。それでまだ人が住んでいるという。そんな状態でどうして生きていられるのか、何を食べているのか、とても不思議な部分だ。

話は多少長くなるので続きにする。

2025年2月23日日曜日

例の視えるという女性と三度遭遇

隣り街の寂しい駅前。そこに居酒屋が何軒かあって、その一つが例の視えると称する女性と遭遇した場所だ。事情があってそこへはもう行かない。代わりにもっと駅近に立ち寄ることが多い。



以前の記事と重複するが、知らないのは自分だけだって、女性は普段から変わった類の人で、その付近では知らぬ者はない。詳しくは知らないが他の客とも何らかのトラブルになってもいるようだ。

トラブル相手と遭遇すると危険だと思うのだが、女性は割と店を訪れるようだ。もう一軒別の店では事実上の出禁らしい。その女性と先日遭遇した。私が店に入った時に目が合って、完全に認識しているが、完全に無視している。その理由というか、事情が知れない。かなり長い時間親密に話し合った間なのに、後に遭遇したら完全に無視している。

店の人は、ああ、あれはそうだから、という。皆知っていると。そんな振舞いの女性が、必ず何人かの連れとやって来る。それも奇妙だ。周りの評判がすこぶる悪いのに…。

妙なことに、今まで気にならなかった女性の顔つきが、以後は随分気味悪く感じる。以前はそういえば顔などマジマジと眺めることはなかった。一瞬目が合った時の今の女性の顔の方が印象強く入ってくる。ちょっと奇妙な顔をしていたんだと改めて思う。

女性がスマホで連絡を取っていた先生格の男の霊能者っていったい誰だったのか。私は彼とスマホ越しで話している。色々と訊かれて素直に答えた。

以後の感じがこうなっている。もしかしたら誰かと組んだ芝居だったかも。店の人はその可能性が高いと言うけれど、芝居して何になる。

以後も度々その店で遭遇する。知らぬ顔してるのよ、とママが私に忠告する。

何にしても奇妙な話だ。だから、周りが関わるなと言っても気になる。

2025年2月11日火曜日

階下のラップ音

ラップ音と決まった訳じゃない。仮にそう言っているが、その物音がこの頃はしなくなった。

というよりピタッと止まってからもう随分経っている。下のキッチンのテーブルからアリナミン系の薬瓶が床に落ちるような--というのがピッタリの音。それが結構何度もしていて、その度に下へ様子を見に行っていたのだが、それがピタッと止まってから久しい。

音というのは回り方があって、真下から聞こえてきてもそうではない場合があるか知れない。だが、本当に真下としか思えない聞え方なのだ。この頃は身の周りに色々と雑務が増えてしまってそちらに気を取られていたが、ふと思い出したのだった。

もう一度さらえて置くと、当家には外からも色んな音が聞こえてくる。それが時には何かが壁にぶつけられたような激しい音がして、本当に何かぶつけられたのではないかと案じて外の様子を見に出たがこれというものは見えなかった。当家の壁にも特に変わったことはなかった。

ストロボが何度か炊かれたような閃光が走ったこともあった。このことも以前書いた。それだって理由が知れない。

そうなると、自分の脳に何かできつつあるのかとすら思ってしまったり、とにかく周りの人がその異変を全く知らんない。

当家は築40年近い古い家だが、まだメンテをする程じゃない。でも雑多なものが置かれてあって、そろそろゆっくりと整理しなければと思っている。ラップ音と例えているがそんなに簡単にあっち系にはならない。ただ、見えないものに身体を切られているのでこの家もかなりオカルトではある。

一度大掃除をしてお祓いみたいなことはしてみるか。あまりそういうものは信じないけど。

2025年1月26日日曜日

今さら探り様もないことなのだが

以前から書いている視えるという女生と居酒屋のことだ。居酒屋に関しては、以後通うことはない。三年も通った馴染みだったのに急にぼったくりに変わってしまって、もう通う意味がない。しかし件の女性とそこしか連絡の取り様がなかった。



ところが周辺の居酒屋にも顔を見せていることが判明して、 たまたま居合わせた時に挨拶を試みたが無視されたことは以前述べた。実はこのことがまだ妙に気になる。何故急に無視し始めたのか。なんの不都合もないのに。

問題は、この女性が実は周辺の居酒屋客からあまり良く思われていないということと一部で出禁になっているらしいこと。それなりの事情がないとそうはならない。他の客ともトラブルがあったともいうし。

2025年1月14日火曜日

あそこへ行ったからというわけでもあるまいが

実は年初にあのアパートの付近をうろついて帰ってからどうも体調が悪い。ずっと悪いままだ。帰宅時に身体がゾクゾクしたので、つまりは風邪だ。食べ物の味も変であまりたべる気がしなかったがようやくそれは普通に戻りつつある。しかしどうにも戻らないのが頭皮のヒリヒリ。確かに過去に風邪を引いて熱など出た時にそいういうことはあったけど、今回は熱もあまりないのにこういう状態が取れない。もう八日間続いている。ジャンプするとずきずきしたり。

大抵はいつの間にか治る。そういうものだろうが、寒すぎる部屋も問題かも知れない。当家はもう灯油は炊かない。ストーブが壊れてから買わないことにした。昨年はそれでなんとかなったのだ。

それにしても、しばらくは風邪らしい風邪もひかなかったのに、しかも一度引くと大したものじゃないのに治りが遅い。年齢と共にしょうがない部分だが、。情けないことでもある。

たまたま仕事も入っていないので布団にくるまっていよう。

2025年1月6日月曜日

あの超常現象のアパートを訪ねたが

2024年6月の記事で--空間から髪の毛が出現するアパート--という連番の記事を書いた。以後何のきっかけもないのでその場所を訪れることはなかった。しかしちょっと小用があって都内に出向いた。その場所が割と近かったので、今どうなっているか訪ねてみることにした。



場所は細かくいう訳には行かないが山手線で言えば大塚。もっと近くには都電の巣鴨新田の駅がある。駅のまん前に昔はタコ焼きを売っている店があって、多少の世間話をしながら何度か買ったものだ。