しかし、事故の日付をみて驚いた。2015年3月5日とある。
そんなはずはない、自分は2018年にリアルタイムのニュースでこの事故を知った。自分はそれ以前にこの事故のことを全く知らない。もし可能性があるとしたら、テレビが当時の報道を伝えていたのか。自分にはとてもそうは思えないが…。
事故は妙なタイミングの絡みだ。女子高生は多分毎日この橋を自転車で渡っていた。女子高生の自宅は橋の西側にあり、学校は橋を渡った東側にあった。おそらくいつも通りのことだった。違ったのは、向かいから年配の女性が歩いてきたことだった。いや、それだっていつものことだったかも。女性はリュックを多分左肩にかけていて、女子高生はこれを裂けようとしたがすれ違い様に接触、引っかかったような感じだろうか、女子高生の自転車は転倒し身体が投げ出され、すぐ後ろに10トントラックが走っていた。後輪に轢かれたとあるから、運転手は必至で前輪を操作したのだろうか、しかし大型車は急には止まれない。
この橋は元々が通行量が多くてそもそもが危険だったらしくて、そういう書き込みを当時何件か確認した。片側一車線で歩道がない。すぐ横を大型車が通ると怖いだろうなと想像できる。橋は厚木市の戸田にあるそうで戸田橋という人もあったり近くのJRの駅の名は門沢橋とありややこしいのだがストリートビューでは戸沢橋となっている。
それを言ったらしょうがないのかも知れないが、事故は--何故?--というタイミングで起きる。これとはまったく別件だが、2002年1月には横浜の瀬谷区で主婦が子供連れで歩いていたところ走行中のトレーラーのタイヤが外れて主婦を直撃したことがあった。主婦は死亡、子供も怪我を負った。これなど、どこかでちょっとタイミングがずれていたらと思わせる。
しかし、その後に調べてみると意外に同様の事故が多いのが判って驚いている。誰が犠牲になるかはともかく事故そのものは日常的に起きていることに驚くのだ。
それらの事故のことはここでの主題ではないが、魔のタイミングはどこにでも仕掛けられていて、我々はその確率の上で生きているとでも言えば良いのだろうか。例えば、落ちる飛行機に乗り合わせてしまうのも、単純にタイミングなのだろうか。なんとも割り切れないものがある。
本件に戻る。つまり、私がこの事故を知ったのはテレビのリアルタイムのニュースであって、それは2018年だった。これははっきりとした記憶だ。しかし実際は事故は2015年に起きていた。これをどう解釈するのか。人間の記憶はすり替えや他の記憶が混ざったりということが普通にあるらしい。これもそういうことなのだろうか。
件の橋はその後に歩道が設置されている。事故が起きてからという非難は当然起きる。だが危ないところは世間に無数にあって、その全部に対処できないということも現実にはある。私の住む街も危ないところが無数にある。妙な段差に車輪を取られて自転車で転倒したこともある。その時に後ろから車が来ていたら同様なことになっていた可能性が高い。それを聞かないのがむしろ不思議なくらいだ。
だが起きるときには起きる。言ってもしょうがないが、狭くて怖い場所ですれ違うときに、一旦停まってやり過ごすことができなかったか。まことに悔やまれる。それだって別に30秒もかからない。慌てていたのかもしれないが…。
橋の上り坂の事故現場には今も花が添えられている。先に歩道ができていたらと、誰もが思う。
天国で幸せであることを祈ります。

0 件のコメント:
コメントを投稿