たしかこうだったはずだが、実際には違っていた--と言うことは割とある。あれなどはどんな理由で起きるのだろうか。
父が亡くなった時、隣り街の斎場へ出かけた。叔母がひとり駆けつけてくれて、私たちは既に車に乗らぬのでタクシーで棺を運ぶ車の後を着いて走った。父の老後はやや失意だったので少ない人数でのおくりだった。その帰り、多分バイパスを走っていて車窓からかなり大きくて鉄さび色に変色したコンクリートの建物が見えた。私は後部座席の右に座っており、その窓から見えた。周りの建物と比較するとかなり巨大な建物でこんもりした山のような林を背にしていた。下の方は道路の側壁に遮られて見えなかったが、多分畑だったろう。
私はタクシーの運転手に問うてみた。あれは何の建物か。運転手はチラ見を何度かしたが何のことを言っているのかわからないようだった。運転手に何度も脇見させるわけには行かないので、結局わからぬままになった。
慌ただしいあれこれが一通り済んで一息吐いたらそのことが気になった。あの建物はなんだったろう。しかし当時は実際そこへ行ってみなければわからない。ストリートビューなどない時代だった。
なので自転車で地図と記憶を頼りに走り回ったが、ついに判明しない。当時私は仕事をなくしていて失意だった。一家が失意だった。ようやくバイトを探して、職場にいた人にそのことを訊いてみたら、それは発電所ではないかと言っていた。それで周辺の発電所を探した。
その人は発電所と言ったが、発電所がこんなところにあるはずがない。多分変電所だろう。しかしそのどちらであっても、遂にそららしいものを発見できなかった。どこの変電所でもそんなに巨大ではない。
今の時代になってストリートビューでも調べてみるが遂にそれらしいものはないのだった。思い違いかなにかだろうか。
しかし私の頭には、とにかく巨大な古い鉄さび色のコンクリートの建物をそれなりに距離から眺めてそのことをタクシーの運転手に問うた記憶が入っている。思い違いだとすれば、その記憶はいったいどこから入ってきたのだろうか。別の何かの記憶が忍び込むようなことがあるのだろうか。
今でも割り切れない思いで居る。

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