2024年12月18日水曜日

異臭

ある朝、明らかに何かが焼ける臭いがしていた。 電気器具の焼ける臭いだ。家の何かが焼けているのか、心配になってあれこれと点検してみたが異常がない。窓をそっと開けてみると外からの臭いだった。周囲の家屋に異常がないかとも思ったが、それもない。

臭いは微かではなく顕著だ。誰でもはっきりわかる。周辺を調べてみようと思って前の道をあるくと向かい斜めの主婦が庭掃除をしていた。変な臭いがしませんか、何かが焼けるような…。

そう言ってみたが、主婦は首をかしげていた。そうですか?

結局臭いが何であったか知れない。自然と消えていたが、何故あの主婦に臭わないのだろうか。それとも鈍感なのか。

こういうことは以前にもあって、その時は音だった。過去に記事を書いた。家を揺さぶる激しい音だったが、その時も、誰に訊いても知らないという。その理由など調べようもないが、気味の悪いことだ。

2024年12月7日土曜日

異音の出所が遂に判明

いや、決定的にここだ、とまではまだ判明しない。しかし概ねはわかった。ずっと以前から時折聞える遠鳴りの道路工事のような音、もしかしたら飛行機のプロペラ音かも知れぬとも思い、何度も空を見上げた。



時間を選ばない。短い時間でプツンと音が消えたりする。 飛行機にそういうことはあり得ない。小さく始まって、徐々に大きくなって、突然消える。こんなことを繰り返す。ずっとわからぬままだった。それが遂に…。

結論からいうと、ある民家からどうやら発生している。そこを偶然通りかかったのだ。その時に音が発生した。この記事を書いている今も聞こえてくる。民家のなかなのか裏なのかはわからない。その民家の裏は山になっていて樹木が茂っているだけだ。そこに何か置いているのだろうか。

普通に一戸建ての住宅地。だから発電機でもない。発電機のエンジンの音なら似ているかも知れない。でもここは普通に電気で暮らしている。発電機ならもっと回しっぱなしだろう。音は長くは続かない。しかし頻繁であり、隣近所にはかなり大きく聞えている。夜中でも無関係。だからちょっとヘビーかも。

出所はわかった。だが何の音なのかはわからない。とにかく何かが回転している。夜中に何が回転するのだろうか。しかも何のタイミングで…。

不思議な話ではある。



2024年12月4日水曜日

オカルトと言っても良い右眼の症状

つまり私は眼を病んでいる状態だ。二年ちょっと前に気づいた。かなり今は見にくい。とくに右の悪化が目立つ。左がまだましなので何とかなっている。



当初眼科医は鈍感だった。何ヶ月か経ってちゃんと見てくれと言ったら瞳孔を開いてストロボを炊かれた。眼底検査で普通にやることだがその光が異常に強烈で、瞳孔は半日もすると戻ったのだが、以後右が明らかに悪い。異様な残像が残った。

検査を要求したのは当方なのでしょうがないが、光は過去に経験ないほど強烈だったと思う。感覚としてわかる。眼底検査は何度もやっている。しかしこの時は瞳孔が閉まっても右眼は像がふたつに見えていた。向かって左にほぼ同じ大きさの薄い像がズレて重なった。その状態が、じつはかなり続いた。

こんな状態でずっと続くのか。誰でも同じことを思うだろう。するとあるとき突然もっと異常なことが起きた。異様な影が漂ったのだ。幾何学的な奇妙な形のシルエットがほぼ全体に広がった。

こうなると二重になるどころではない。こんな状態なら右眼は見えないほうが安全だ。私はほぼ覚悟を決めた。こんなの取れないだろう。医科的にどうにかする方法があるのか。それともこれだって単なる飛蚊症なのか。

ショックでしばらくは狼狽した考えがあれこれと浮かんだ。飛蚊症など元からかなりある。これはそんな程度の話ではない。しかし悩んでいるとそれが急に溶け始めた。形の端っこから何かに喰われるように滲んでボケて消えて行った。あっと言う間の出来事だった。

現在は別の眼科に通っている。人は悪くなさそうだが若造のため口。それを、ほんの一部だけ説明を試みたが、笑って本気にしない。

自分に起きたことは自分にしかわからない。自分にはどうやら世間一般の他人よりは不可解なことが起きる定めのようだ。それが良いことに繋がれば良いのだが、どう考えてもそれはありそうにない。

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気分転換にブログデザインをあれこれいじっている。しばらくはあれこれとやるがご容赦。


2024年11月24日日曜日

光視症というのがあって

眼を動かす度にピカピカ光る。自分は今この状態にある。この原因は知らないが少し調べた。すると網膜が眼球運動によって引っ張られているのだとしている。他の理由も誰か述べているかも知れないが。



もしかしたら違うかもと思っている。頭全体を動かしてもそれは生じるからだ。つまり眼は動かさない。それで眼の端っこ、上下と左右に出る。

不思議なことに症状が現れた当初が最もその現象が大きかった。少しずつ小さくなって今はあまり気にならない程度だ。だが基本的に治るものでもないらしい。

多分、医者に言っても信じないだろうが、最初の症状は強烈だった。部屋の中で強いストロボを焚いたみたいな気がした。実際誰かが外からストロボを焚いたのだと思った。家に何かをぶつけられたようなビックリするような音とかのこともあるし、どうやら何故か当家にだけ起きている奇妙な現象があるのかも知れない--実際まずそんなことはないと思うが--ので、ストロボのことだってあるかも知れない。その現象は、短い間に二度あった。以後はない。ないが、光視症が以後確認された。つまり光視症の始まりはそういうものなのかも知れない。

光視症は両方にあるが、右眼は特にそれとは違ったことでオカルトと言って良いことが起きている。その一端を先日眼科医に述べてみたが、鼻で笑っていた。くすくす笑って首を振っていた。

自分に起きたことは自分にしかわからない。誰かに理解してもらうなんて端から無理なのだ。

2024年11月21日木曜日

水道水が温かいことに関する続編

 


9月にそう言う記事を書いた。時にはお湯みたいだと。結論からいうと今も温かい。冬になりつつあるのでまさかお湯と言うことはないけど。元は一本から来ているので枝分かれした片方が温かいことの理由もわからないと。つまり湯沸かしを通らない方の管が温かいのだ。

2024年11月11日月曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--12

結局そこに住まいしたのは精々三か月程度だった。新たな住まいは小石川だった。同じ不動産屋で適当なところを探してもらった。半ば緊急避難でもあったからこっちは大変だったが不動産屋は良い商売だったろう。頭がカッカしていたので髪の毛のことなど本当に頭の中の片隅にしかなかった。



敷金を返してもらってこの件は終わりだが、その件は不動産屋は介入しないとのことで直接大家に電話を入れると、案の定畳のへこみにケチをつけた来た。私はそれとは関係ない。へこみは入居時からあったもので、本当はそのことを知っているのだろう。そう言い返してとにかく敷金は全額返してもらった。壁に貼り付けた髪の毛に関しては黙っていた。大家も何も言わなかった。今となっては果たしてどう思っていただろうと思うが…。

2024年11月1日金曜日

霊能者と居酒屋の腐れた話

以前、視える--つまり霊視できると言う女性の記事を書いた。その経緯がどうにも話にならない結果になったと。女性はかなり近隣で評判が悪く、出禁の店もあると噂で聞いた。良いのだ別にそのことは、人にはそれぞれがある。だからもうその話は立ち消えにしていた。


心寒い

しかし、その舞台となった居酒屋には通い続けていた。婆さんひとりでやっている店だ。雰囲気は冴えないし普段から周辺の店よりはやや高い目ではあったが、許容範囲だった。遭遇する客によっては楽しいときもあった。だが、それが急に変貌した。いきなりぼったくり店になっていたのだ。出て来る品も随分貧相になっていた。

事情は不明。だが推測はできる。多分何かの支払いに追われている。しばらく前から客の入りが全然だった。客によってはそういうことをしていたのだろうか。何年も通った馴染みの店であり婆さん女将だったが、金に追われたらそうなる。終わっていくというのはこういうものなのだ。

とへいえ、霊能を自称する女性が居たり、遭遇した店が後にぼったくり店に変貌したり、奇妙と言えば奇妙な成り行きだ。

黙って払ってきたが、以後はない。そろそろ出入りする店を整理する必要があった。好奇心で色んな店を訪ねたが、他に楽しめる店が増えた。それでも気兼ねがあってたまには訪ねていた。

むしろ整理がついて良かったと言うべきだろう。プラスに考えよう。

2024年10月26日土曜日

水道管の音が気になる

ちょっと別を挟む。最近多忙であまり書けないが気になることを短く記す。本日は画像なし。画像は一々要らないね。

水道の蛇口からお湯が出たことは以前記事にした。湯沸かしを通る管ではない。季節によって暖かく感じることはあるが、お湯は初めてだ。はっきりとしたお湯だ。

近所にそれらしいことはないようなので非常に奇妙だと個人的には思う。が、解決しようもない。真冬なら有難いかも知れない。

ところで、また一つ気になることが増えた。実はその水道管がカタカタと音を立てるようになった。揺れても居ないのに。試しに壁を叩いてもそんな音はしない。つまり自分で多少壁を揺らしてみても関係なさそうだ。

二階のトイレの蛇口を緩めて水を出して止めるとカタカタと震える。と言うことは水圧で鳴っているのだろう。町内のどこかで水を使った時などに水の圧が伝わってくるのだろうか。

以前に、こんなことが気になったかと考えるが、よく覚えていない。だが、どこかで鳥が巣を作ったのかと思ったことはあるので、以前からこんな音はしていたのだろう。

水道管は、以前凍って破れた時に業者が来てくれて見たことがある。意外に細いのだ。こんなのであんなに水が出るのか。その細い管が壁の中に巡らされている。その固定が、もしかしたら緩んでいるのかも知れない。

と言っても壁のなかだ。以前は破れた方の根元を詰めて凌いだが、もし別の方だったらトイレすら流せない、いやキッチンでさえ危なかった。当家は残り一本で暮らしている。この管になにかあるとヤバいことになる。

自分が生きている間持ってくれることを願うばかりだ。

2024年10月10日木曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--11

娘は、直ぐに出て行けと私に凄んだ。言われなくてもこんなところ…。

どうやら大家一家は夫婦で商売をしており、朝からそこへ出向いて家にはいない。倅が一人居るようだが、これも多分勤め人で出社している。隣りの部屋は空いているし、ということは、普段は私とこの得体の知れない娘しかここには居ないのだ。



転居には礼金が新たに発生する。親に仕送りをして生きていた私としてはまことにもったいない限りだが、このようなことで、転居を決意せざるを得なかった。髪の毛のことなど、もうどうでもよくなった。出来るだけ早くここから出ることだ。ここを紹介してくれた不動産屋に駆け込んで事情を話したら、やっぱりという顔をしていた。

2024年10月2日水曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--10

私は階下の異様な存在、つまり大家の娘と面と向かったことはない。遠目で眺めた程度で顔ははっきりとは見ていない。いつも上下黒っぽい服を着ていた。振り乱したようなゴワゴワの髪の毛、太り気味で物凄く短気なようだった。 たまにセールスが訪れると激しい剣幕で追い返されていた。セールス相手にはそれで良いがやたら滅多らは困る。いつこちらに向いてくるか知れない。



引っ越しは完全に失敗だった。こんな状態で長くは住めない。髪の毛のことではない。不気味は下の娘だ。もうとっくに大人だ。多分仕事には出ていない。一日家に居る。だから、時には私と二人だけになることがあり得る。

まだ三ヶ月しか経っていない。越せばまた礼金を無駄にする。それはわかっていたがそろそろ転居を考え始めた。礼金は2ヶ月分だから、十万近く無駄にする。痛いことだったがやむを得ない。外食のついでにあちこちの不動産屋の張り紙を覗くようになった。

ある夜、外で犬が走り回ってキャンキャンとうるさいことがあった。どこかの飼い犬が離れていたのだろうか。あちこち走り回ってなかなか静まらず、眠れないので外へ出てシッシッと追い払った。そこを目撃された。娘は猛然と怒鳴り込んできた。押し殺したような声だが激しく私を詰った。意味はあまりわからない。どうやらお前は動物を虐待する悪いやつだと言っているようだった。夜中の3時頃だった。

夜中ですよというが、娘は収まらない。その時初めて身近に顔を見た。子供の頃に何処かで見た獣の顔に似ていた。近所が知らぬ顔をしているのは、きっと触らぬ神のなんとかだったのだろう。


2024年9月26日木曜日

水道の水がお湯になった

我が家では時々どこからか異音が聞えて来るし、今だにその正体が掴めない。短時間にエンジン音みたいのが聞えてすっと止まったりするし、それが夜中だったりするから変に思うのだ。それとはまったく別に家を揺さぶる程の衝撃音があった。そのことを誰に話しても知らないという。



その時私は自宅の壁に何かをぶつけられたと思った。周囲を調べた限りではその形跡はなかった。もっとも、形跡と言ったって何が残るだろう。壁さえ割れていなければわからない。

ま、そんな不可解なことがあることを以前に書いた。今朝、七時前だから早朝の部類だ。水道を捻ってみると水が温かい。温かい程度じゃなくて明らかに体温より高い。お湯の部類だ。

季節によってそういうことはある。でもしばらく流すと冷たくなる。きっと水道管が地熱とか太陽に温められているのだ、そう思っていた。今までならその解釈で良いだろう。しかし今回は温かすぎるのだ。お湯なのだから。

他の蛇口も調べてみると、皆温かい。庭の蛇口も蛇口そのものが温かい。こんなことってあるだろうか。いくら地熱と言ったって火山の近くじゃあるまいし。

近所の人と出会ってそのことを訊いてみたら、いやそんなことはないと言う。とすると当家だけなのか。今度居酒屋にでも行ったらそんなことがあるかないか訊いてみようと思うが、これまでどこに住まいしても、ここであっても過去にこれ程温かかったことってなかった。

それから一時間もすれば水は冷たくなったが、完全に変だと思う。以後も続くか調べてみる。

2024年9月22日日曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--9

徐々に事態は悪化しつつある。あれこれ試しているが、如何せん遅すぎた。試す時間が足りない。遠くない内に一つの決断をしなければならないだろう。



いやこれは自分の身体のことだ。それはともかく、ブログは続けよう。可能な限り。ここしばらく、不思議なアパートのことを書いている。不思議と言っても、その時はピンと来ない。あとから振り返って、いやそれはないだろう。そういうものなのだ。

2024年9月16日月曜日

予断できなくなってきた

少し身辺の事情を挟む。これに関しては先日も書いた。予断を許さない--などと言うが、どうやらそうなってきている。健康問題だ。命を取られる心配はない。しかし、かなりダメージだ。



そんなことで、考えることはそちらにばかりなっていて、ちょっとばかり落ち着いて記事が書ける状態ではなくなりつつある。このことは、別な生活ブログで記しているが、同じことをこちらで書いてもしょうがない。だが、厄介な、しかも面倒なことだなとため息が出る。

これに関しては色々と取り組むことがあって、このブログでも記しているが、自分は過去に物理的に起こりえないことを目撃しているので、或いはそんなこともないかなと思わぬでもなし、またネット上から色んな情報を集めて取り組んだりもしているが、それが効果を発揮したとしても短時間でどうなるものでもない。そのような情報は、つまりはネットの上だけであることが現実には多い。

だから、自分はあまり非現実的にはならず世間通りのトライもしてみる。というより、普通の人はそうするしかない。

状態は日によってましかなと思うこともあるが、しかしそれもつまりは誤差レベル。または気のせいの部類だろう。このままの状態で物事は多分解決しない。ちょっとばかり崖から飛び降りる決心が居るが、そんな状態に差し掛かっているなと観念しつつある。

だからと言って必ずしも結果がよくなると分かったものでもない。悪くなったという人もあって、それ故判断が難しい。

そのようなことで、記事は少々間延びする。間延びはしても、細々とでも続けられればと思う。どうせ、閲覧も少ないのだ。

2024年9月7日土曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--8

最初に気付いたのがいつだったかはもう覚えていない。多分、あまり気にしなかったのだろう。ついでに言えば、鈍感な私はその後もずっと異様なことが起きているとは思わなかった。



当時私は図面関連の仕事をしていた。仕事は今も同じだが、当時はパソコンなどない時代だった。あったかも知れないが仕事ができるようなものじゃなかった。そっちの世界の人なら知っているだろう、専門のトレース用紙にロットリンクなどで墨入れしていた。大抵は外形の太目の線と内側のアールなどを示したりハッチングを入れるための細い線で書き、ゴミや埃があるとしくじるので羽箒で払いつつの仕事だった。

あるとき、ペンを持ち換えようと視線をペン立てに移したら、そこに長い髪の毛が乗っていたのだ。ついさっきまでそんなのはなかった。ストレートで30から40センチくらいの長い髪の毛だった。ちょっと手を休めたりペンを持ち換えたりするのにペン立てと手はしょっちゅう往復している。髪の毛は瞬間に現れたのだ。明らかに女性のものだった。

なんだろうなと思いつつ、そんな時はなかなかピンと来ないものだ。アレッとは思いつつ、何の気なしにゴミ入れに捨てた。ティッシュで丸めたかそのまま捨てたかはもう覚えていない。そして、これが最初だったかどうかすら、もう覚えていない。多分、何度目かだったと思う。既に何本か、それまでに出ていたのだ。

当然こう考える。天井にくっ付いて居るのが落ちてくるのじゃないか。気になり始めた頃ちょっと調べてみたのだが、そんなことありそうもない。あっても何本もはない。

何だろうなとは思いつつ、眼の前には仕事がある。そんな日々だった。

2024年8月31日土曜日

話の小休止にアートを

ちょっと更新を怠った。しかし、それがストレスにならぬようにしたい。ブログはそれで良いのだと思っている。作ってしまうとついつい更新が気になるものだが、ここは本来それを気にする程のブログではない。


その場所--1

ちょっとばかり身辺厄介事に見舞われている。その一つは自分の安易さと怠け心が招いた結果だが、それはいつかやっつけねばならない。一つは健康問題だ。元々それを引きずって生きているが、別のことが加わってしまった。これに関しては、ある種の決断めいたことを強いられてる。本音では決断を先延ばしにしたい。他に打つ手はないか色々と考えたりしているわけだ。無駄に終わるかも知れないが、実は若い頃からこの面では何度も辛い思いをしている。どれか一つでも取れてくれないかと思いつつ生きてきて、そろそろこの歳になればというところまで来た。そこへ思っても居ない厄介ごとを抱えた。人には定めと言うものがあって、逃げられないものだが、それでもどうにか生きるしかない。

2024年8月15日木曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--7

かような状態だから居心地が良かろうはずがない。しまったなあとは思った。だが眼の前には仕事があり、当時は本当にチェーンワーキングとでもいうのか、次から次への仕事に追われてズルズルと日々を送っていた。



前の住人は板前さんだったというが、殆ど部屋にはいなかったらしい。そんな人の方が良いのだと大家からの条件だったそうだ。それを不動産屋が押し切った。いいんだよ入っちまえば…。その時は深く考えなかった。その事情は前に述べたが、こうしてみるとやっぱり訳アリだったのだ。

前住人が部屋に何を置いていたのか知らないが、真ん中の三畳間には、一か所畳に強いへこみがあって、その部分がラッパ型に開いたようなへこみになっていた。ここに一体何を置いていたのかと思ったが、それ程気にはしなかった。これも、入る時にもっと点検して大家に言うべきだった。最後にこの件で大家に恩着せがましく言われることになった。

がしかし、精々この程度なら、不快ではあるが我慢できないこともない。こんなとき、人はそういうバイアスをかけ始める。自分もそうなっていた。銭湯の帰りに大衆食堂でビールをやりながら、周りは下町っぽいし何でも手の届くところで買えるし、住環境そのものは悪くない。部屋からは巣鴨の商店街も近いし、もとより大塚の駅前も賑やかだ。どこへ出るにも近い。慣れればこれはこれで快適だ、時折入ってくる煤はちょっと気味が悪いが、どうしてもという時はまた別を探そう、そんな風に思い込ませつつあった。

そうしているうちに、奇妙なことが起きたのだ。

2024年8月13日火曜日

話を挟むが近所の猫が

街に向かう坂道に人馴れした猫が居た。さわっても怒らず、どころか通行人に合図してさわってもらうタイプの猫だ。どこかの飼い猫であることは確かだが、普段は周辺をうろついているが大体は同じところに居る。

その猫が、いつの頃からかバッタリ見かけなくなった。暑すぎるのかとも思ったが、こんなに暑くなる前から見かけない。

その辺りを通りかかる時、付近の人を見かけたら訊いてみようかと思ったが、何故か人すら見かけない。偶然なんだが、近所の人もあまり外に出てどうのという街ではないのだ。車通りはあるのだが。

猫はある時バッタリ見かけなくなることがある。以前住んでいたアパートの大家の猫も二年行方不明だったが、あるときフラッと戻ってきた。大家一家は皆首をかしげていた。二年もどこにいたのだろうか。きっとどこかで閉じ込められていたのだ。そんな話すら出た。

思い出すのは、例のアパートのことだ。懐いた猫がピタッといなくなる。あれは何だったのだろう。猫はそれっきり見かけなかった。その時と同じとは言わない。全然話は違うのだが、つい思い出したのだ。坂道の猫はどうなったのだろう。気まぐれでどこかへ行ってればいいがと思う。

2024年7月30日火曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--6

何度も断って置く。私はここで作り話はしない。タンタンと起きたことを述べるのみだ。他人の判断は私にはどうにもならない。



さて、倉庫か保管庫であろうと思われたところに、どうやら年配の女性がひとりかふたり住んでいることがわかってきた。顔をジロジロと眺めたことはない。だから、もしかふたりだとすると、互いに似ているのだろうと思われた。私の感じではふたり居たのではなかったかという気がしている。

私は素浪人にようなひとり者なのでベランダに洗濯物を干したりはしない。付近のコインランドリーで洗ってきたのを部屋干しするくらいだ。部屋はベランダに面していて、開け放っているとそこから猫が入ってくることは前に述べた。ベランダは大家が使用しているから、混じるのも嫌だった。

2024年7月23日火曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--5

間に話を入れてしまった。例の女性のことがあったので一応は記録して置きたかった。現実にはあの通りだ。どうやら虚言性めいた女性であることは間違いないようだが、それにしても飲み友達は居るしで、妙な世界だと思う。



話を戻そう、空間から髪の毛が出現する奇妙なアパートの話だ。都電の巣鴨新田駅から歩いて数分の、一階に大家一家が住まいし二階の二部屋を貸しているがベランダに面した方を私が借りていて隣りはまだ空き部屋になっている。大家一家、つまり亭主とカミさんは何らかの商売をしていて昼間は仕事に出ている。家に居るのはドスの効いた野太い声を出す--多分娘--と思われる女性ひとりだった。

2024年7月19日金曜日

探していたあの女性更に

視える--という例の女性と居酒屋で遭遇したことを先日書いた。その態度が予想もしなかったことも。相手はとにかく私の写真を撮っている。しかもある程度密な話もしている。それでいて完全無視は考えられない。



ところがこの女性は周辺では既に有名で、そんな感じの女性ではあるらしい。思い付きで色んな事を言って、後で覚えていないとか。

虚言性か。それにしても会った人間を覚えていないことはないだろう。なにか都合が悪かったのか。しかしとにかくそのような癖の女性なので周辺ではなにかとトラブルがちなのだそうだ。

2024年7月10日水曜日

探していた女性と遭遇した

件の女性とは凡そ一年半ぶりか。視えると言っていたあの女性だ。その後すぐに話の続きが訊けると思っていたが種々の事情で叶わなかった。連絡場所になっていた居酒屋が臨時休業になってしまった。

女性は周辺の居酒屋からは、実のところ少々敬遠されている風でもあることも分かっていた。一軒などは事実上の出入り禁止か。だからもう、多分会うことはない…。

ところが先日、ある居酒屋に偶然入ってきた。バタバタと複数で。どうやら先客と待ち合わせていたようだ。まだ夕方前の早い時間だった。この店だけが何故か早く開くので周辺をちょっと歩いた後に立ち寄ったのだった。

すぐにわかったので一応の挨拶をしたが、相手は無視していた。忘れているのかも知れぬと思い尚も声をかけてみたが、何度も目線が合っているのに無視。

変だ。初対面の相手の勘違いでも無反応はない。

だがそれならしょうがない。以前からの話はもうないことになる。だが、それならそれでこちらとしてはちょっと気味の悪さが残る。女性は更なる別の霊能者に電話を入れて、私の写真を撮影して送っている。そこまでやっていて、無反応はない。それなりの事情はあるのかもしれない。虚言性なのか、まあ、多少その気があったとしてもそれでも話が変。

こちらとしてはもう深入りはしないし相手を探ることもしない。金銭が絡んだ話でもないし、別に相手が、ちょっと変ではあってもそれだけのことだ。

どんな身の上なのか、と言うことに関してはちょっとばかり興味をそそられるが…。

ひとつ気になった。後ろのテーブル席から時折聞こえてくる彼女の話し声が、以前とかなり違うのだ。もっと太い声で、語調も妙に違っていた。本人に間違いないのだが。なにしろ個性的な顔立ちで、間違えようがない。自分たちの仲間内ではそうなのだろうと解釈するほかはない。


2024年7月1日月曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--4

猫は、当初思っていたよりも多いことがわかった。いつの間にベランダに枕がいくつか置かれていて、その上に猫が寝るようになっていた。大抵は用心深いがまったく馴れているのもいて、窓を開けているとこっそり入ってきて、仕事をしている私の椅子の後ろにちょこんと座っているような猫もあった。触っても怒らないでじっとしている。



そういうのは可愛いので入ってきてもそのままにしていた。一匹入ってくるとゾロゾロ続いて入ってくる事もあったが、そいつ等は近づくと出ていく。馴れている猫はおとなしくて抱えることができるので外出するときも困らなかった。掴まえて 窓から出せるのだ。どうしてそんなに馴れているのか知らないが可愛いのでそんな生活がしばらく続いた。下で餌をもらっているだろうから私がそれをすることはなかった。

2024年6月25日火曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--3

このブログは作り話はしないので事実ネタがなくなったら終わる。元々それでスタートしている。後はどうなるか知れない。色んな事をやっているのでこんな奇異なブログは中心にはならない。しかし端っこだから面白いというのはある。無理なく続く間だけのブログだ。





それはともかく話の続き。越したばかりのアパートが何日もしない内に変だと気付いた。時々怒鳴り声がするのだ。ドスの利いた太いおばさんの声だ。しかし明らかに大家ではない。入居時に会った大家はもっと年配の女性だった。すると娘だろうか。誰かに向かって怒鳴り声を発している。家族の揉め事だろうか。なんと言っているのかしれないが、その言葉の汚さは想像できた。

2024年6月22日土曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--2

視える--という女性に関しては、もう自分には方法がない。どこかでバッタリ遭遇するかでもないと話は完全に途切れる。その訳アリの感じはちょっと気にはなるのだが、なったところでしょうがない。



ということで、空間から髪の毛が出現するアパート--に関して記したい。集合型のアパートではなく二階建ての一階に大家一家が暮らし、二階の並び二つを貸していたことは前回書いた。ふたつとも空いていたのでベランダに面した方を選んだ。細い階段を上ったら直ぐの部屋で、ベランダに窓から出られる造りで面白かった。ベランダは広くて椅子とテーブルくらいは置けるほどのスペースがあり、そこからサンシャインが望めてなかなかの雰囲気だった。

2024年6月18日火曜日

視えるという女性の姿がおぼろ気に--2

前回の続きであるこの記事は過去の記事と関連がある。左の検索ウインドウで--視える--と入れて検索してもらえば良い。一連の記事が出る。



早く言えば私は物理的科学的に説明のつかないことを私自身が体験しているので、たまたま居酒屋で遭遇した女性が視えるというのでそこから始まった話だ。

結論から言うとその女性はかなり怪しいということになった。仕事をしていないかできない事情があって、それでいて居酒屋で飲んでいることを考えると少々複雑なことを思い起こさせる。半ば身を持ち崩しているのだ。周辺の居酒屋は詳しくは言いたがらないが、今では出入りを遠慮してもらっているという。

視える--というのも虚言症だと受け止められている。しかし彼女は、私の話を聞いて更に視る人にすぐに電話を入れたのだった。男だったが、先に示し合わせて置くことなど不可能なので、必ずしもその件に関しては嘘とも言い切れない感じがする。

勿論、視える--が本当かどうかは別問題だ。前述しているが、霊能者と称する人に、本当に視えている人に今まで一度も会ったことがない。それはそれとして、彼や彼女が何を言うか、それはちょっと楽しみではあった。金は払わぬよと、最初から断ってもあるので。元々がそう言う話ではない。飽くまで居酒屋の話なのだ。

しかし、少し残念な気がしないでもない。案外面白い糸が見えたりはしなかったか。


2024年6月13日木曜日

視えるという女性の姿がおぼろ気に

話が細かく入れ替わるがその時の都合だ。どうせ多くがこのブログを眺めているわけじゃない。過去に記した視えるという女性のことだ。連絡が取れずに終わるかと思われたが、ひょんなことでちょっとみえてきた感じだろうか。意外な成り行きなのだが。



幻視

視えるとはつまり霊視のことだ。私は以前から述べている。世の霊能者は如何わしいと。しかし脳の構造かどうかは知らぬが、何かが視えているという人には一応の関心がある。まったくの嘘つきなのか本人の器質的な問題で何かが視えるのかはともかく、訊き出していけば興味深いことが出て来るかも知れない。

2024年6月9日日曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--1

以前紹介した出版物には他にも興味深い記事がある。かまいたちに関連する記事でこの本を紹介した。怪奇現象博物館。そのなかには他にも興味深いことが述べられている。何もないところから突然あるものが現れて飛び回ったり移動したり、あるいは消えたり--といった具合だ。

今から三十数年まえ、まだ若かった頃、私は都内の大塚、詳しくは都電の巣鴨新田に近いアパートで一人暮らしをしていた。四畳半ほどのキッチンと三畳と六畳間で家賃45000円。集合型ではなくてこれがふたつ並んだ二階を貸し、大家が下に住んでいた。この大家とその周辺もちょっとばかり変だったのだが、それはさておく。

当時私はテクニカル系の図面を製作していた。デジタルのない時代、安物のドラフターを使ってロットリンクと専門のトレペにインキングする仕事をしていた。仕事先に出向いて何点か預かり納期の迫った分を届けると言うことを何年も続けていた。

その前は、駒込のより小さなアパートで、まったく布団がやっと敷ける程度の狭い六畳間でアナグマのような暮らしをしていた。当時はようやく仕事が忙しくなっていたし多少の金銭的余裕も生まれてきたのでちょっとはマシなところへの転居を決意したのだった。

何となく大塚近辺を選んだ。理由は大したことではないが、浅野ゆう子が主演した何かのドラマに大塚駅前辺りの喫茶店がテレビ画面に出てきたと、勘違いかも知れないがぼんやり記憶していた故だ。そこから歩ける範囲を何点か探したが、不動産屋が紹介した二軒の内の一軒に決めた。それが巣鴨新田付近だった。もう一軒はちょっと変わった雰囲気で面白かったのだが、裏が銭湯になっていて夏は暑そうな気がしたのだった。

ここでちょっと気になることがあった。結局そこに決めたアパートは、最初ちょっと不動産屋が懸念を示したのだ。あなたは部屋にずっと居るのと訊いたうえで、どっちかといえば、通勤している人の方が…と言っていたのだ。ところが後には、いやいいんですあれは、入っちゃえばいいんですよ--と言うことになった。

私はあまり気には止めなかった。

2024年6月4日火曜日

隣人たちの不気味--5--左隣も怪しい

右隣りは、主婦は高飛車で倅はチンピラだった。バイクの窃盗などもやっているガキタレだった。それがタバコの吸い殻を当家の庭に投げ込むばかりじゃなく電話を貸せと言ってはあがりこむ。普段年寄りしかいないところで、こんな気味の悪いことがあるだろうか。私は都内を引き払って同居を決意した。



そこまでは前回に述べた。そのことを倅が気付いたかどうかは知らないが、あるときは食べ物のかすまで投げ込まれてあるのを見つけた。ポテトチップスとかバーガーの包み紙などがバラまかれてあったのだ。

2024年5月31日金曜日

もう一人の自分を見ることがあるだろうか

テレビのドキュメンタリーだったと思う。中国の山で遭難して奇跡的に下山してきた人の話だった。ナレーションを、仕事をしながらぼんやり聴いていたように思う。



その時に気になる話をしていた。もう限界に達して、本人は思ったそうだ。もういい、もういいんだ--と。何度も諦めかけた。そのときにもう一人の自分が突然自分から抜け出して眼の前に現れた。そのもう一人がやたらとうるさく励ます。その度にまた身体を動かして、結局手足を凍傷で切断することにはなったが奇跡の生還を果たした。

これは非常に興味深い話だった。極限に至った人間には時としてこのようなことがあるのかも知れない。そんなとき、私ももう一人の自分を見ることがあるだろうか。山の中でなくても遭難者は様々な幻覚を見るという。これもその類の話なのか。しかし知る限り、それらの話とも随分違う部分がある。第一目撃したのはもう一人の自分だ。そいつが自分を励ます。諦めるな諦めるなと…。今まで見知った限り、その類の幻覚を見た人は居ない。

確か、中国のミニヤコンカという山で遭難して、凍傷を負いつつも奇跡の生還をした人の話があった。そのことを知ったのはかなり後だったと思うが、あのドキュメンタリーはこの人の話ではないかと思っていた。しかしどうやら違っているかもしれない。

最近その本を購入して読んでみたが、私の記憶にある話はどこにも書かれていない。もう一人の自分の話だ。僅かに似た個所はあるが、それは行動を共にして、下山途中ではぐれた別隊員の声だった。勿論幻聴だった。隊員はその後遺体で発見されている。

思い込んでいたものが後で確かめて違っていたりすると妙な気分になる。実は私にはそういうことは何度かある。案外自分も思い込みやすい性格なのかも知れない。

2024年5月24日金曜日

誰かが憑依する?



まさかね、そんなことはない。でも変な癖が付くことってないだろうか。今まで何でもなかったことが急に変になったりする。

本を読んでいる時、普段声を出して読んで居る人はいないと思う。授業でもなければ皆黙って読む。黙読というのだっけ。私は寝る前にぼんやりと、別に急がずに本を読むのが好きだ。そんなに頭に入らなくて良い。一々そんなことは強いない。ただぼんやりと読む。その内眠くなってくれれば良いのだ。

2024年5月19日日曜日

隣人たちの不気味--4



越してきたのが老夫婦だと当初は思ったようだ。だから舐めた。主婦も高飛車だが、坊主も大変な悪ガキだった。何度も警察に引っ張られているという話だった。そいつが、突然電話を貸せと言って入ってくるらしい。母が電話で泣きごとを言ってきた。

2024年5月16日木曜日

正体不明の音に関してまとめ

 


私が敏感なのかどうか知れないが、とにかく私の住まいの周囲では異音がある。イオンはないが異音がある。

ま、いいけどそれは。とにかく心当たりのあるものをあげてみる。


1、発電機のような音

現在進行形で書いているディーゼル発電機のような音。時間不定。音の大きさも様々だがあまり大きい音ではない。方向感も不明。上下も不明。先日の記事にある通り一旦はヘリかと思ったが、そうではないことが判明した。

2、物が落っこちるような音

下のキッチンから薬瓶が落っこちたような音がする。アリナミンのようなガラス瓶がテーブルから落っこちたような音にそっくり。自分が二階に居る時に限って音がして、降りて調べてみてもなにもない。また瓶が転がったような音がすることもある。ゴロンという感じの音だが、異常はどこにもない。これは一度だけだが、勝手に転がる訳もない。他所の家庭の音が真下から聞こえることがあるだろうか。しかも皆が寝静まっている深夜。

3、壁に何かをぶつけるような、時には異様に大きい音がする

壁に何かをぶつけるような音がする。頻繁ではないが時々そう言う音がする。家の軋みかも知れないが、一度はまるで爆発音のようなビックリするような音がした。家全体を揺すぶった。近所で車のドアを開け閉めするだけで当家は揺さぶられる。何故かそんな風になっている。音響と空気の関係かも知れない。だが爆発音は異常だ。しかし外を調べても何もない。近所で尋ねてもてもそんな記憶はないという。あのような音を一度聞いたら忘れるはずがない。

4、トタンを叩くような音

ネコがトタンの上を歩くのと似たような音がする。しかし大きさが違うのだ。猫が歩くようなことは何度もある。音だって常識的なレベルがある。しかし時にそれがかなり大きい。人でも歩いているのかという感じ。しかも先日はわざわざトタンを殴るような音がしていた。風はない。いつもと同様外に出ても何もない。

5、深夜の低い音

かなり思いものをドスンと落っことすような音が深夜にしてきたことがある。寝てしまっている人は気付かないだろう。普通はあんな音は出せない。しかし数日だけで止まった。

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自分はここで作り話をしない。一々オカルトとは結び付けない。だから必ず納得できる理由が存在すると思っている。

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展示している絵についてちょっとだけ。

絵は別に記事に関連しているわけではない。文字だけじゃ味気ないからそうしている。元々不安げな絵を時として描いているので、溜まったらまとめて展示するかもしれない。

2024年5月11日土曜日

いやいや違うあれはヘリの音なんかじゃない



深夜遅くまで起きていた。夜中の二時過ぎか。するとやっぱりあの音がしてきた。音はいつもよりはっきり聞こえる。しかし10秒ほどでピタッと消えた。

ヘリだったらこんなことはない。音がピタッと消えるということはエンジンが止まったのだ。それはあり得ない。墜落するじゃないか。だから、先日ヘリが飛んでいたのは偶然だった。そう思える。

奇妙に思うのは、これは微かだからはっきりしないのだが、小さな音で何度も聞こえたり途切れたりしていたと思う。気のせいと言われればその程度の音だ。そしていきなりはっきりとより大きな音で聞こえて、それが10秒程で止まった。後はしなくなった。

移動しているのかも知れない。しかしヘリではない。とすると何だろう。相変わらず謎だ。或いはどこかで何かしているのだろうか。だったら音に強弱があるのはどういうことか。

音で奇妙な事柄はまだある。今は止まっているが、それに関してはまた書こう。

2024年5月9日木曜日

異音の正体はもしかして




ヘリコプターの音かも知れない…。

昼と言わず夜中と言わず、長い時間ではないし、遠鳴りなので普通なら気にはならない異音について記している。先夜も聞こえてきた。時間は夜の10時頃だったろうか。はっきりとは覚えていない。とにかく聞こえている間に確かめようと外に出た。音は途切れ途切れに聞こえる。

大体いつもそうなのだが、確かめようとすると聞こえなくなる。この類の話はそうと決まっているが、とにかく出てみた。空は真っ暗だった。

2024年5月3日金曜日

タオスハムなる現象があるらしい

近隣の話の間にちょっと挟む。私は以前から時折遠鳴りに聞こえてくる妙な音のことを書いている。これは続くこともあり、短い時間で途絶えることもある。いったい何だろう、などと思いつつぼんやりネットをうろついて居たら、タオスハムなるものを見つけた。どこからともなく聞こえてくる低周波音らしい。これは世界のあちこちで見られる現象で、場合によっては自分にしか聞こえないこともあるとか。



以前、非常に低い地鳴りのような音が朝早くから聞こえていたことがあった。近所の人に訊いてみると、その人にも聞こえると言っていた。でもこうも言われた。あんなのが気になるのですか。

まあ、私はその辺よりも好奇心が強いのだろう。

ひょんなことからそれが何だったのかが判明した。ある居酒屋で居合わせた客が話していた。雷の音だったようだ。遠鳴りで途切れることなく連続するし朝からは珍しいので雷とは思えなかった。

今自分に聞こえてくるのはディーゼルで回している発電機のような音で、数秒のこともあればかなり長く持続する時がある。タオスハムの記事を調べていると、やはりそれに似た音があるようだ。

タオスハムなる名前の由来はアメリカニューメキシコ州にある町の名前だそうで、ここで同じような音が確認されるが今も原因が特定されていないらしい。

そういうものなのだろうか。



2024年4月28日日曜日

隣人たちの不気味--3

引っ越しの荷物をどうにか運び入れてひと息吐いたら向かいの奥さんが庭仕事をしているのが見えた。直ぐに出て行って挨拶をした。丸顔の可愛い顔した奥さんだった。奥さんはこちらの挨拶を受けてこう言った。

「この辺は煩くて大変ですよ」

ちょっと困り顔だった。笑顔になれない事情があったのだが、それ程深刻には受け止めなかった。しかし徐々にそれは見え始めた。

中古の購入だったので家の下見をさせてもらう。一般的なことで、私たちもそうした。中古と言っても家が新品同様なのでそちらに心を動かされた。しかし二軒隣から犬が吠え続けていて気になった。その事を問うてみたが--いつもは静かだ。今日はなにかあってのことでしょう--とさり気なく答えた。

一時犬が吠えるくらいはどうってことないか。そんな風に思った。入ってみるとそれが違った。ほぼ毎日吠え続けているのだった。

一方、夜十時以後は風呂に入るなといきなり注文を付けた右隣り(吠える犬はその更に右隣り)も、実はかなりややこしい一家だった。倅がろくに学校にも行かず不良グループに入って何度も警察沙汰になっているようだった。この倅が、夜の夜中に不良どもと家の前でたむろしてタバコを吸いながら朝まで何かやっている。 その吸い殻を当家の庭に投げ込むのだった。

やられたと思った。つくづく人間が甘いのだった。

2024年4月20日土曜日

隣人たちの不気味--2


越してきた当初、私は都内で仕事を継続していて両親と兄が先に住むことになった。 ローンと家賃が重なるので不経済だったが、それでも仕事の都合上都内に居るメリットがあった。兄はホテルの夜勤で一日置きに都内まで通うことになった。その間は老いた両親だけになる。

二人が揃って近所へあいさつに出向いたら、右隣りの主婦からいきなり言われたそうだ。夜十時を過ぎたら風呂を使わないでくれ。

なんでも亭主が観光バスの運転手で、早朝出勤だそうで早い時間に寝ているからと。

この主婦を、荷物を運び入れている時にちょっと見かけたのでその時私も一応の挨拶をしたが、歯の出っ張った不良姉ちゃんのような顔立ちだった。さすがに大人だからガキ娘のような尖り方はしていないが、少々私の気持ちに翳りが生じた。これが隣りか…。

それにしてもいきなりな言い様だ。それを嘆く電話が母からかかってきて、左隣もなんだか様子が変だと不安気な声だった。

どう変なのか、その時はまだ漠然としていた。後々それ程の苦労をするとは夢にも思わなかった。

2024年4月14日日曜日

隣人たちの不気味--1



襲ってくるのに姿が見えない。これはやっぱり嫌な存在であることには違いない。だが、不思議なことに私にはそれらしい恐怖を今もって感じられない。精々膝がしらを切られた程度で大きな被害がないせいもあるし、以後継続している訳でもない。その時でさえ、何が起きているのか全然ピンと来なかったせいもあるだろう。

やはり怖いのは、現実に物理的作用を及ぼせる生きた人間の方だ。しかも表面上はごく普通を装っている。

私が今の住まいに越してきた当時、まだいくらも経たない内にこれはミスったと思った。七軒ずつ背中合わせに建っている区域だが、その内五軒は、ちょっと変だと直ぐに分かった。しかも明らかに異常だと思う世帯が当家と接していた。両隣と裏隣り。ほぼ新品に近い、従って殆ど値引きのしない中古を購入したのだが、売り主に完全にしてやられたようだった。

一応事前に周辺を歩いてみたりもしたのだが、特別異常があるようには見えなかった。しかし、甘かった。早く決めたいとの思いが強くて、あまり値引き交渉もしなかったし、踏み込んだ調査もしなかった。初めて家を購入する人間がどれ程用心深くなれるだろうか。自分を庇う訳ではないが、無理もない部分があったと思っている。

しかしその甘さが、以後何年も私たち一家を苦しめることになった。

2024年3月30日土曜日

かまいたち--6--世にも不思議な物語



資料から、などといっても単に古い本の記述だ。しかも述べられていることが実際にあったかどうかまでは不明だ。一応あったこととして記述してある。 これによれば、フランク・エドワーズなる人が著した世にも不思議な物語なる本にこの類と似ている記述があるようだ。

フランク・エドワーズと言う人は様々な超常現象を集めたマニアのような人だったのか、こんなブログを書いていて全く頭にもなかったのだが、そっち系では有名な人らしい。その彼が、同名のラジオ番組のために収録したものとなっている。

2024年3月23日土曜日

視えるという女性ともう一度連絡を試みる

かまいたちの途中で話を挟むが 、例の視えるという女性と何とか連絡が取れないかと思って、もう一度件の居酒屋で出向いた。いつもは割と客のある店に、その時はずっと私ひとりで、珍しいことだが、その方が話がしやすい。



あれこれと挨拶代わりの世間話をした後で、あの女性、元気かねと、そんなことから切り出した。どの人のことを言っているのか、女将はそんな様子でピン来ない感じだったが、これは恐らくトボケだろう。少しずつ分かってきた感じを装ったが、どうも以前とは違う。

こちらは飽くまで、以前の話が面白かったのでと、それ以上ではないことを装ったが、以前はわざわざ電話までしてくれたのに、この変わりようななんだろうか。

話はあまり当てにしない方が--とそんなことまで言っていた。当てにするとかはともかく、どんな話でも興味深い面があれば糸口から辿りたいと思っているのだ。女性は私の写真を撮って別の、より視えるという人に送ってくれた。相手は男性で、その時にちょっと事態を説明したが、スマホの向こうから聞こえる声にどこか聞き覚えがある。気になる部分なのだ。

しかしそれ以上の話は進まず、適当なところで店を出て一気に寒くなったホームに佇んだ。

女性は間違いなく常連だったが「いや、全然」と女将は言っている。関係に、なにかあったに違いないのだ。

これ以上はもう放置するしかない。なにがあったかを詮索する訳にも行かない。時間を置いてたまに様子を見に行く程度しかない。

物事は進まないものだ。

2024年3月17日日曜日

かまいたち--5--見えないものに襲われる



前回の記事に書いた--怪奇現象博物館--なる本は北宋社という出版社から出されている。あまり聞いたことはないが調べてみる限りでは今も現存しているようだ。在所は文京区水道とあるが、私の手元にある本は1987年版とあるからかなり昔だ。変わっていないとすれば、私は過去文京区に住まいしていたので、ある程度はうろついたところだ。物好きにも今調べてみると、あの串カツ田中が存在している。がしかし、出版社そのものはビューでは探せない。転居しているかも知れない。

2024年3月10日日曜日

かまいたち--4--ある資料から

今更のことだが、かまいたちと言ってもお笑いのことではない。念のため。あっちはあっちで今は色々あるようだけど。

こんなことがあっても、奇妙なことがあるものだと思う程度であって、だからといって別に何ができる訳でもない。その後はしばらく時間が経っても同様のことは起きないので、どうやらそれ以上の危険はないと判断し、いつしかどうでも良くなってしまった--と言うのが実情だ。実際、以後数年間このような現象は起きていない。



しかし、見えないものに何か悪さをされると言った事柄はあるのだと、どこかでそんな記事を読んだ記憶が薄っすらとある。それであれこれ調べたら、多分これだと言うのが出てきた。怪奇現象博物館と題されている。脇に--フェノメナ--とある。現象という意味か。

過去に世界中で起きた奇怪な出来事をまとめた本で、空から魚が降ってきたとかの話があれこれと載っている。

2024年3月3日日曜日

かまいたち--3

奇怪なことに遭遇した人でないと多分ピンと来ないだろう。そのさなかにある間はその奇怪さがピンと来ないのだ。なんだろうと思いつつ消毒したりはする。でもそれだけだ。後から段々と、そんな馬鹿げたことがあるものかと思い始める。姿形も見えないものに引っかかれるなどと。



気になって、やはりかまいたちにやられたとする人の動画を探した。あるにはあったがその人は妙にはしゃいでいて、しかも自分のとはかなり様子が違う。その人のは世間で言われている通りのかまいたちだ。信憑性の判断も、何とも言えない。

2024年2月27日火曜日

かまいたち--2

絵はともかく、こんな場合図を描くのはやたらと面倒な性分なのでとても絵描きとは思えない図をお見せする。つまりは物事が説明できれば良いのだ。



これは、今のところ--かまいたち--としているものによって傷つけられた跡だ。 左ひざの、お皿の上部のやや内側で、自分で上から眺めている状態を説明している。

右端が、衝撃の強かった最初に一撃だろう。だろうと言うのは、自分がその瞬間を目撃した訳でもないからだが、疑問の余地はないと思う。いささか思わせぶりな絵になってしまっているが、こんな感じでパックリ開いてサーモンや赤みが見えているのだ。スパッとした感じだ。

左の二本は恐らく二度目にやられたものだが、こっちはあまり深くなく、衝撃も小さい。スパッとした感じとはちょっと違ってやや皮膚が引っかかれて毛羽だった感じだ。

直ぐに変だと思うだろう。二度目の衝撃はシュッシュでワンセットだ。シュッシュッは方向が揃うはずなのだ。どんな事情か知らないが、説明がつかない。

何年も前なので傷跡は全く消えている。しかし不思議なことに、しばらくは余韻があった。やられた時の衝撃の余韻が、その時ほどの強さは無論ないが、記憶している限り、最低でも二度は余韻があった。

余韻というのも、かなり奇妙なことだと思う。

2024年2月21日水曜日

かまいたち--1

過去に様々なブログを運用してきたので、どこかで既に述べたかも知れない。 私はかまいたちに膝を切られている。かまいたちと決まったわけではないが、近いイメージとなるとこれしかない。しかし随分違う部分もある。

重複するかもしれないがもう一度述べる。もう五年以上、もしかしたら7年くらい前だ。キッチンで洗い物をしていて、流しの手前に下げてあるタオルで手を拭こうと思ってちょっと下がったらいきなり左膝をやられた。鋭く尖ったものの感触だった。その時咄嗟に思ったの。甲羅の固い、鋭い触手を持った虫がズボンの中に入り込んだのか。

慌ててズボンをたくし上げようとした。そいつを早く出すのだ。するとその瞬間シュシュッと二度引っかかれた。最初の一撃の衝撃が大きく鋭くスパッとした感じで、二度目は引っかかれた感じだった。しかも二度目は--シュシュッ--がワンセットだ。つまり二度目は二回やられている。言葉で説明するのは骨が折れる。

まくり上げて見てもズボンの内側にはなにもなかった。虫も居なかった。辺りを調べたが、何かが落っこちた気配もない。つまり切られただけで切った奴の正体はどこにもなかった。

最初の一撃の部分で口がパックリと開いて一円玉の直系よりやや長いくらいか。つまり世間で言われているかまいたちの傷跡に比べるとかなり短い。あれは大体7センチといわれているようだ。赤身が見えているのに血が全然でない。この部分はかまいたちと同じだ。ピンと来ないまま二階の部屋に戻ってマキロンのようなもので消毒を試みたが、脱脂綿を当てても赤っぽいものは付着しなかった。

かまいたちはある程度の推理がなされている。何らかの自然条件で真空状態ができて、それによる空気圧の違いで身が切られる。

正直言うと、私にはその方がありそうもないような気がする。キッチンなのだし、それはない。それでふと思うのだが、かまいたちの推理もどうやら怪しそうだ。もっと他の理由だろう。

あまり時間がないので少しずつしか書こうと思う。

2024年2月13日火曜日

視えると言う女性と連絡がとれないまま

臨時休業だった居酒屋を覗いてみた。店は営業していた。女将の具合が悪かったらしい。今は正常に戻ったようだった。最初は、ああ良かった、それなら連絡が取れると思った。


隙間から覗く奴


でも…、ちょっと様子が変だ。以前と同様全然朗らかだが、何だかその女性と距離があるような言い方をする。以前はわざわざ電話をしてくれたのだ。女性と店はツーカーだったはずだ。

なら無理は言えない。でもどういうことなのだろう。何かあったのだろうか。この店ではいつも大体同じものを食べていて、その時も同じものを食べた。飲んだ。全然楽しいを装った。飲めばそれなりに楽しくはあるのでそれはそれでよかったが、どうやら連絡を取ってもらうのは難しそうだ。

2024年2月12日月曜日

奇妙な物音の正体未だ判明せず



どこからか、古い自家発電機でも稼働させるような物音が漂ってくることを書いているが、相変わらず続いている。以前は夜中だけだと思っていたが、どうやら時間は関係ない。規則性は全然ないようだ。夜中に比べて昼間などは分かりにくかっただけなのだ。

距離はあるように思う。近くとは思えない。なぜ自家発電機が出てきたかというと、以前住まいしていたアパートの近くでそれを回していた人が居たからだ。その住人をはっきりとは知らないが愛想の悪い人ではなかった。会えば挨拶はする。難しい人でもない。でも町内にはどうやら入っていなくて、その意味では近所付き合いはしない人のようだった。気配としては、どうやら息子が一人居たように思う。奥さんの気配はなかった。

その人が、僅かな庭に自家発電機を置いて、電気を引き込まずにそれで暮らしていた。可能かどうかは知らないが、とにかくそうやっていた。その音にちょっと似ている。

漂っている時間は長くて数分。しかし夜中にもあると言うことは近隣の普通の生活者ではないだろうと推理できる。しかしその音を確かめようと夜中にも外に出てみるが、不思議と聞こえなくなる。

近所の人は誰も知らない。知っていても気にもしないだろう。私の近隣の人は、私から眺めるとやや鈍感だと思う。

こういうことには好奇心が働く。いつか突き止めてみたいと思う。


2024年2月2日金曜日

本性とはなんだろうか

精神分析ができる人が居ればちょっと訊いてみたい気がする。世の中には酔っ払いの絡み屋と言うのがある。私はよく飲む方なので時折目撃する。しかし酔ってもいないのに絡み屋と言うのがある。某お笑い芸人などが最近では有名だろうか。



人の数だけ違った意見がある、他人は他人--という考えが端からない。違った意見を許せない。芸人は何か発していないと忘れられると言うことがあるかも知れない。しかし度が過ぎると感じることがある。条件反射みたいに噛みついている。それこそ個人的な感覚だが、見る度にギョッとする人相になっているように見える。人間の心のあり様は必ず顔に出る。いちいち誰とは言わない。

2024年1月25日木曜日

別れている自分

夢の中では、自分が複数に分かれている時がある。飽くまで夢の中での話だ。ちょっとややこしいのだが、同時に存在しているとは確認できない。つまり二つに別れていた場合、双方が同時に自分だったとまでは言えない。



はっきりしたことは言えないが、確か3つくらいに分かれていたことがある。これは作り話ではない。飽くまで夢の中での話だ。最初私は誰かと話していたが、いつの間にか話している相手側になっていると思えることがあった。こんな夢はどんな条件のときにみるのだろうか。それとも何らの要因はないのか。

2024年1月15日月曜日

自覚夢なら間違いなくある



明晰夢とも言うのだったか、わざわざ難しい言い方をするものだ。つまりは自分が夢の中にあることを自覚することを言うのだろう。

ある一定のパターンがある。ちょっとした斜面に差し掛かって、足が急に重くなる。全然進まない。この手の夢を子供の頃から何度もみている。さすがにそうなると、これは夢を見ているのだと夢の中で判断できる。私はそうなった。

2024年1月9日火曜日

予知夢は実際にあるだろうか





年が明けて既に九日目。この間冴えない仕事で手がいっぱいだった。他のことができなかった。いつの頃からか、うま味のある仕事がなくなった。衰えて行く脳みそと体力でいつまで仕事が続けられるのか、それだってもうあまり楽観的な見通しはたたない。

いきなり大きな地震やそれに絡んでの羽田での事故があった。災害や事故は暦と無関係だからそれ故今年は暗いとかはないのだけど、当家の周辺は殆ど信じられない程の静けさで、正月の華やかさなどとっくに無くなっている。コロナ以後は神社の花火も上がらない。以前は年明けと同時に上がっていたのだ。