年が明けて既に九日目。この間冴えない仕事で手がいっぱいだった。他のことができなかった。いつの頃からか、うま味のある仕事がなくなった。衰えて行く脳みそと体力でいつまで仕事が続けられるのか、それだってもうあまり楽観的な見通しはたたない。
いきなり大きな地震やそれに絡んでの羽田での事故があった。災害や事故は暦と無関係だからそれ故今年は暗いとかはないのだけど、当家の周辺は殆ど信じられない程の静けさで、正月の華やかさなどとっくに無くなっている。コロナ以後は神社の花火も上がらない。以前は年明けと同時に上がっていたのだ。
初夢と思しきをみた。気になる夢だったが、再び眠って忘れてしまった。ちょっとメモって置くだけでかなりを思い出せるのだが、この頃はそれもやらない。それをするとまどろみがなくなってしまうのだ。メモったところでどうせたいしたことはない。
特に意識しないでもかなり細かく覚えている夢もあるし、直ぐに消えてしまうのもある。この頃はすぐに消えてしまう。年齢と関係あるだろうか。
予知夢があるかということで、遠い昔に、なんでこんな夢をみるのかと思ったことがあって、しかし何十年も経って、ああ、このことを暗示していたのかと思うことは確かにある。しかし、月日が離れすぎているとその証明にはなり辛い。
であっても、人間の脳みそは何らかの形で未来を察知してもやもやとした朧な感じで夢に表すことがあるかも知れない。私はまだ学生の頃家族との関係でかなり不吉な嫌な夢を見て、しばらく鮮明に覚えていた。何事もないのでずっと忘れていたが、結局、あの夢はこのことを言っていたのかも知れないという結果になった。何十年も経って…。
その顛末の詳しきは言わないが、あり得ると私は思う。しかし時間との関係で、偶然としか考えないのだろう。精々一週間後ならともかく、せっかく予知夢に現れても何十年も離れては用心の仕様がないのだ。
いや、夢そのものがどんなことであっても、結局は用心なんてできない。ならどうしてそんな夢を見るのか。
説明のつかないのが世の中と言っちゃえばそれで終わり。あの世があるかと言うことと同じで、これもやっぱりそっちへ行かなければわからないのだろうね。あったとすればの話だが。
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