2024年6月13日木曜日

視えるという女性の姿がおぼろ気に

話が細かく入れ替わるがその時の都合だ。どうせ多くがこのブログを眺めているわけじゃない。過去に記した視えるという女性のことだ。連絡が取れずに終わるかと思われたが、ひょんなことでちょっとみえてきた感じだろうか。意外な成り行きなのだが。



幻視

視えるとはつまり霊視のことだ。私は以前から述べている。世の霊能者は如何わしいと。しかし脳の構造かどうかは知らぬが、何かが視えているという人には一応の関心がある。まったくの嘘つきなのか本人の器質的な問題で何かが視えるのかはともかく、訊き出していけば興味深いことが出て来るかも知れない。

私だって、自分の体験を言えば普通に嘘つきだと言われるだろう。だから、無視はできないのだ。その手のあやしい商売でもない限りは。

連絡しあえる場所であったはずの居酒屋が、その女性に関して妙に素っ気なくなっていて変だと思った。何かあった気配だが、店主が言いたがらぬことを更にというわけにもいかない。そこはもうそれだけを受け取るしかない。折角写真など撮られて、それを更に別の相手が霊視するとか言っていて、結局それがどうなるかはちょっと気味が悪いが、こういうことになれば、自然消滅して忘れてくれる方が良い。

この町には他にも多少の居酒屋があり、時折は私も訪れている。ついそこで、他店でこんなことがあってと言う話を飽くまで世間話をしたところ、なんとその女性は周辺居酒屋の有名人でもあった。決して良い意味ではない。

私には普通の勤め人のように見えていたし店との関係も親しいように見えた。これが少々妙で、訊けばとっくに周辺の居酒屋では問題の女性であったようだ。

どういうことだったのだろうか。

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