2023年12月29日金曜日

切れない関係が鬱陶しい



クリスマスから新年にかけて、いつもある人から郵便が来る。古い知り合いで今は外国住まいだが、もうこちらは付き合いがあるとは思っていない。事実、こちらから連絡を取ることはない。

普通に人々は、その環境に従って付き合いを変えていく。でもこれを永久に続けたがる人が居る。彼もその一人だ。クリスマスカードか、あるいは新年の挨拶状とともに、家族の様子のああしたこうしたが書かれていて、どんな社会的グループに属してどんな活動をしていてボランティアにも参加していて、自分の素晴らしきを語り、日曜日には教会に行くように勧めている。それが自筆ではなく刷り物になっている。おそらく、過去に知り合って連絡の取れる人すべてに送っているのだろう。

以前までは電話もあって、適当な言い訳をして切るのだが、面倒で鬱陶しい。こちらは仕事の都合で睡眠が不規則になったりすることもあり、そんな時はかなり腹立たしい。やっと眠れたり、そんなときもあった。今はずっと留守電にしている。この人のためだけにそうしているのではないが、以後は助かっている。厳しい口調で言ったこともあるが、堪えない。彼の全てに、こちらは関心がない。つまり事実上他人だ。

このタイプの人を、世間ではなんと言うだろうか。一年にこの時期だけなのだが、刷り物で来るというのが何とも。ならいっそ、忘れてくれた方が良い。便りのないのは無事の知らせ。彼が無事かどうかなんて個人的にどうでも良い。その程度の付き合いなのだ。

人との関係は難しいね。


2023年12月22日金曜日

これは心霊現象だろうか--2

先の記事の絵は、実は特別何を描こうと意図したわけではない。つまり顔のようなものを描く意図は全くなかった。例えれば、薄暗い原野と怪しげな空間とでも言えようか、実はそれすらはっきりとした意図を持っていなかったのだが、成り行きでそんなものに見えればよいと言ったところだった。絵そのものは荒い目の小さなスケッチブックにポスターカラーの黒だけで描いている。



これが元の絵だが、実はこれ自体、結果的には随分気味の悪いものになっている。ホラー映画にでも出てきそうな豚皮を被った怪物にも見えなくもない。私は詳しくはないが、あの手の映画をなんと言うのだっけ。スプラッター映画か。今ちょっと調べてみると、血が飛び散るとか解説されている。

2023年12月17日日曜日

これは心霊現象だろうか--1

下の画像を、もし霊能者と称する人に見せたらどんなことを言うだろうか。誤解のないように言って置くが、私はあまり霊能者を信じていない。事情があって過去に何度か会ってきたけれど、これは確かだと思える人は結局いなかった。




けれどもその全てを否定するつもりはない。要するにわからない部分が多すぎるのだ。だから、その答えを後付けで批判に使うつもりは一切ない。後付けどころか最初から否定するタイプの人も居るけれど、私はそうではない。判断する材料が少ないのだ。

画像には獣のような顔が浮かんでいるが、こういうものがどうして現れたのか、元は何なのか、それは取りあえずは言わない。しかし試そうとかの意図はまったくない。そんな野卑な気持ちは持ち合わせない。しかし先回りして言ってしまうことはその手の人には危険なのだ。

霊能者に限らない。普通にしている人でも視えるという人が居る。私は訊いてみたかったが連絡が取れなくなった。(事情は過去記事)

時々は、何等の不思議な作用が働いているのかも知れない--と思うことがある。その部分のことは自分でもまだ整理できないので説明はできない。徐々に考えてみたい。

2023年12月13日水曜日

幽霊はないということをあのオッサンは証明したのか

厚かましい神経の持ち主には幽霊は出ないのかも知れない。

東京都足立区の小学校(大谷田の中川小学校とある) の女性教諭を殺害して自宅の床下に隠していた男が時効後に自首して発覚した事件があった。事件発生は1978年というから私がまだ上京する前だ。



男は小学校の警備員で、何故そんなことになったのかは色々と言われていて私にはどれが事実なのかはわからない。ネット上のある記事によると、男は元々この小学校の教諭たちと折り合いが悪く、弁当に睡眠薬を入れられたり有毒ガスをまかれたりなどの嫌がらせを受けていたとあったりする。

2023年12月7日木曜日

聞き耳

スーパーでたまに遭遇する主婦と立ち話をすることがある。世間話。とそこへ、直ぐ近くに来てずっと立っている主婦が居るのに気づいた。背中にくっ付くようにして向こうを向いてじっとしている。こっちの世間話を立ち聞きしているのだ。



誰も買い物をしているので特別なことがなければ一か所に留まらないで普通にウロウロするものだが、じっとしたまま動かない。それに気付いて話を切り上げたら、主婦はちょっとこっちを振り向いたが慌てるように移動した。

以前にも同じことがあって、その時もこの主婦だった。どうやらそんな悪癖があるようだ。殆どぴったりくっ付くように後ろ向きに立って話を聞いている。二度もあればそういう癖を持った人に違ない。

どう見ても主婦だから、こんな女性も家庭を持っているだろうが、この悪癖を家族は知っているのだろうか。それとも似たようなものなのか。

人間には不可解に思われる所作があって、人と話していると必ず割り込んでくるのが居る。他のユーザーのブログにコメしたら、私の方が親しいのよとでも言いたげなコメをする人が居る。嫌な性格。

この主婦の場合は聞き耳と言うより立ち聞きと言った方が良いかも知れないが、似たようなものだ。どれも気味が悪い。

2023年11月28日火曜日

距離の取れない人の鬱陶しさ

人には誰でもそれ以上は立ち入るなという境界線を持っている。ズケズケとした輩も不快だが、表面は丁寧でも、何度も執拗に接近してくるのも気味が悪い。私もここでちょっとした絵を公開しているが、絵画系に登録していないのはそれ故でもある。元々オカルトっぽい絵にしてあるのであまり公開する意味もないが…。




ずっと以前に、ごく何でもない水彩画のブログを公開していた。だが、そこでのそれこそなんでもない記事が、多分相手が普段気にしていることか、あるいは図星だったかも知れないが、その辺に触れたのだろう。以後、こちらでなにか書くとそれに絡むような記事を執拗に書くようになった。

2023年11月23日木曜日

物音がまた聞こえる

夜中の二時ごろ、下のキッチンで、壺か花瓶か、或いは酒の瓶か。そんなものが転がるようなゴロッという音がして、その後少し惰性で転がったようなゴロゴロという音がした。


転がった瓶


キッチンの板の間には多少の瓶は並べてある。皆お焼酎なんかの酒の空き瓶だ。他には仏様に花を供えるための壺のような花瓶がある。

空き瓶はともかく、花瓶には水が入っているので転がるとまずい。絵のようなシーンを想像した訳だ。慌てて下へ下りた。しかし、どこを見ても何が転がったような形跡はない。勿論水もない。

音は明らかに下から聞こえてきた。板の上を転がるゴロゴロッという音がはっきり聞こえた。なんとも奇妙だが、もしかしたらどこかの音が何らかの理由で当家の下から聞こえるような理屈になっているのだろうかと思ったりする。

以前アリナミンの瓶か何かがテーブルから落っこちたような音がしたと書いた。その時も、何等の異常もなかった。アリナミンは確かにあるが、瓶はテーブルにあった。

あまり気にしなかったが、実はこのようなことが当家では結構あるのだ。まさかラップ音でもないと思うが、以後は記録して行こうと思う。今まではあっても異常がなければ放置していた。

案外、調べ始めると止まったりするものだが。

2023年11月19日日曜日

コミュニティー内の不気味

地区のなかに、コミュニティーのなかに気味の悪いのが混じっていたりする。 

どこの町内にもゴミ出しがある。夜中には出せない。出す輩が居るけど、出さないルールだ。徹夜した時など、だから早朝五時まで待って出しに行く。五時を過ぎたら朝の内。その朝、小さな袋でちょっとだけ出した。



回収後、偶然にそばを通りかかったら、何故か自分が出したゴミ袋だけが残されていた。私はゴミ袋を役所に持って行ってこれにどんな不備があって回収しないのかと問い合わせた。別に不備はない。役所は業者に連絡を入れて、また回収してもらうことになった。理由が知れないので私も不機嫌だった。

2023年11月14日火曜日

夜中の物音

これは、突き止めると多分平凡な理由がある。しかしどうしてと思う部分もある。私は深夜起きていることが多いのでこういうことに気付くのだ。



いつの頃からか、 自販機の明かりくらいしか灯らぬ夜中。時間は三時から三時半。大体決まってそんな時間に回転する機械の音がどこからか漂ってくる。車のエンジン音かと言えばちょっと違う。発電機と言えばそんな気もする。距離は分からないが近くではない。それなりの距離のある所から聞こえてくる音だ。

一旦途切れたりするがまた何かが駆動する。道路工事のような気もするのだ。私はずっとそう思っていた。車が走らない夜中に始めて朝方には終える工程でどこかを工事している。そんなことだろうと思っていた。道路を掘削するようなと言えば、それが最も近いように思える。

しかし、ちょっと違うような気がしてきた。何しろそれならもっと長い時間に渡って音がするはずだが、短い。精々一分か二分。この頃はほぼ毎日のように聞こえてくる。

夜中だから誰も気付かない。寝ている住人を叩き起こす程でもない。だから、これもやっぱり近所の誰に訊いても知らぬと言うだろう。しかし発生源の近所では結構な音がしているはずだ。

方角が、まるでわからない。それが分かったら駆けつけてみる。短い時間なのでそれでも多分判明はしないだろう。

近所ごとで不思議なことは他にもある。自分が敏感なのだろうか。

2023年11月10日金曜日

音に関する不思議は実は他にもある

ラップ音じゃなくても、自分にだけ聞こえる音とか、もっと激しく言えば衝撃音とか、そんなことがあるだろうか。

実はあるのだこれが…。私にはちょっと信じられないのだが。もっとも、自分にだけ聞こえているというのは絶対にないと思っている。



もう二年くらい前になるかも知れない。日記を調べればわかるだろうがもう面倒だ。つまりはそのようなことがあったと、自分で忘れるはずもない。 

当家の並びは背中合わせに七軒ずつが並んだ形になっている。裏の並びの前には二つ駐車場がある。だから、ドアの開け閉めの音が、時にはイラっとするくらいに大きく響く。その時も、初めはそんなことだろうと思っていた。それが一応の常識というものだ。それにしては、誰かがわざと激しくドアを開け閉めしているとしか思えないくらいの音なのだ。バン!バン!

2023年11月8日水曜日

判ってみるとなあんだとは思うのだが

しかしそうでもない気もする。とにかく朧気なのだ。連絡が取れなくなってしまって以後、臨時休業の店がいつ再開するのかすらわからない。女性は居酒屋の近所に住んでいると聞いているが、周辺を当てもなく探せるわけじゃない。



私の家では、 時折ラップ音がする。いきなりそう書いてしまうと、お前、やっぱりそっちだろうと思われそうだ。そういうことじゃない、正体を突き止めたい物音がするが、オカルトだとはいきなりは考えない。つまりは正体がはっきりしない音がすればそう呼んでいるのだろう。判ってみるとという程度のことかもしれない。

2023年10月26日木曜日

視える--と言う女性と知り合う

作り話をしないので、これは本当のことだ。細かくは言わぬが、あの大槻教授が聞いたら絶対に嘘だと言うような摩訶不思議な経験を私はしている。



別に非難しているのではない。大槻教授のあの態度は私は正解だと思っている。大体スピ系ホラー系は私もしんどい。しかし自身に起きたことはしょうがない。他人が信じる信じないは関係ない。その類の話をしても私には何等の益もない。儲かりもしない。まあ、それはブログも同じだが…。

あまり乗降客のない寂しい駅からちょっと歩いたところに居酒屋があって、以前何気にフト入った。年配の女性がやっている、いきなり常連みたいに振る舞える気兼ねの全く要らない店だった。そんな雰囲気の店が不思議とあるものだ。

2023年10月21日土曜日

蝋燭の炎が立ち昇る

毎朝神棚とお仏壇に水とお茶をお供えしている。私自身はあまり熱心ではないが、父が毎朝お経をあげていたので、私はお経は読めないが形だけでもその継続をしている。線香も蝋燭も粗末なものだ。ロウソクは凡そ19分で燃え尽きる。毎日同じことの繰り返しだ。特に変わったことが起きることもない。



しかしそれが、一昨日は変だった。いったい蝋燭の炎はどれくらいの高さまで立ち昇るのだろうか。簡単な朝食を摂っていると急に炎が立ち上った。

えっと思った。こんなこと初めてだ。高さは推測だが10センチくらいだろうか。普通はそんなに高くならない。いつもは小さく、精々2~3センチの高さで小さく灯っている。早朝だから窓もまだ開けて居なくて、部屋に風もないのにそれがかなり瞬いた。しばらくして小さくなった。時間にしたら精々一分か。

蝋燭の製造過程でちょっとした違いが出るのかも知れない。芯が伸びれば炎も高くなるだろうが、着火したばかりで芯はまだ小さい。消える前の炎は大きくなるが、10センチにもならない。

何にしても不思議だった。仏さまが何か言いたげなのだろうか。そうかも知れない。もう一度チンチンと鳴らして手を合わせた。だからといって、それ以上にすることもないので…。


2023年10月19日木曜日

不安な日々が続く

こんなブログを書いているからだとか、そんなことは全然関係ないが、ここしばらく、何故か不安な精神状態に包まれている。寝覚めが特に良くない。動悸がしている。もっとも動悸は以前からあって特別なことではないが。




理由は全然分からない。ブログは全然関係ない。普通オカルトやホラーをいう人はエンタメが多いので実は不安はないのだ。事実、彼らは皆楽しそうだ。私も嫌いではないからこのブログを書くのは楽しい。しかし作り話をしない観点から言えば、ネタはそんなにあるものではない。従ってブログの更新は多くない。事実、前回の更新からは随分間が開いた。

思い当たるのは、最近株価がさえない(少し投資をしている)とか健康状態だとか色々はあるけど、健康状態などは今どうなるとかの差し迫ったものではない。株価なんか投資をしていると必ず下落に遭遇するものだ。

しかし一点だけ、眼の衰えはどうしようもない。これからもドンドン衰えるのだろうかと思うと、それはやっぱり不安だ。でも、不安の要因はそれなんだろうか。

不安というのは、その実態がつかめないのだ。だから不安なのだ。自分は今きっとそんな状態なのだと思う。何が不安なのか、気分的に爽快でないのか、全然それがわからない。酒を飲めば楽しいし、毎日はいささか面倒だが特に辛いこともない。なのに不安だ。

どういうことなんだろうな。

2023年9月25日月曜日

夜の川

街の中にある川は、どうってことはない。人知れぬ山の中を流れる、つまりそれは渓流のことだけど、昼間はともかく夜は怖いだろうなとつい想像してしまう。



オカルト系の動画はエンタメとして語られることが多いと思うけど、渓流釣りをする人の恐怖体験など、エンタメであってもなかなか面白く感じる。そこでフト思う。夜に渓流釣りをする人があるのだろうか。夢中になっていて暗くなってしまったというのが大体その理由だろうけど、素人じゃあるまいし大体は見当を付けてやるものなので帰りに迷う程の夜中になってしまうとはちょっと考えられない。あるかも知れないけど。

2023年9月13日水曜日

子供の頃は陽が暮れるだけで不安だった

例外はないだろう。暗闇はあらゆる動物の、つまり夜行性でない限り、危険を察知するための本能が働くのだと思う。人は幼い時、誰もが暗闇を恐れた。


向こうになにかありそう


幼児であった頃、正確には小学生の低学年に当たるまでの年齢だが、私は周囲を畑と林と池に囲まれた粗末な長屋に住んでいた。年齢がバレてしまうのだが、まだ冷蔵庫も扇風機もない時代だった。冬はどうしていたのか、もうとっくにそんな記憶はなくなってしまった。

私は周辺の散策が楽しみだった。特に水のある所には魅せられた。その多くはザリガニ釣りに費やされ、藻で緑に覆われた水面を見るのが楽しかった。遊び惚けた。友達と一緒だったこともあるが多くはひとりだった。年齢の近い子供が周りに居なかったのだ。

2023年9月6日水曜日

人には裏の顔がある

裏の顔があったって別にそれが直ちにどうということはない。その人の中で完結していて誰に迷惑をかける訳でもない場合、それは何等の問題もない。



しかしながら、表からは見えない面が一定の、或いは特定の個人にだけ向いてくるのが時として見られて、これはまことに気味が悪いのだ。

誰だったか忘れたが、主人公を演じたのは有名な女優だった。まったく情けないことにタイトルも忘れた。確かテレ東でかなりの昔にぼんやり見た洋画だ。主人公は、ある時から突然知らない男に付きまとわれて、汚物が徐々に神経に浸透してくるような嫌がらせを受ける。男は家庭では子煩悩な良き亭主を演じている。それが表の顔だ。その被害は周りには全然伝わらない。苦労してその証拠になるような男の声と嫌らしい言葉を録音し、その家庭を突き止めて男のカミさんに聴かせる。カミさんは荷物をまとめて逃げた。----そんな話だった。ネットを調べてみたが探し出せない。

2023年9月1日金曜日

隣人の恐怖

隣人は、時として恐怖だ。隣りに恵まれるか否かで私たちは誰でも人生を終了させてしまう可能性がある。そして、本当の原因が何なのか、他人からはほぼ見えない。厄介な相手と偶然関わってしまった恐怖というのもある。その手のホラー映画は多いが、実際誰でもその類の恐怖を味わう可能性があるのだ。



隣人で最も怖いのは犯罪さえもやりかねない素性の人間が住んでいた場合だ。個人がどんな趣味を持っていようが己の領域内でやってくれるなら何の問題もない。趣味は多様だ。私がここで言っているのはそういことではなくて、常識から外れた人間と隣り合わせて突然被害を被り始めた場合だ。

2023年8月26日土曜日

類は類を呼ぶ

本来は--類は友を呼ぶ--と言うのだそうだ。しかし私はずっとタイトルのような言い方をしていた。その方がピッタリだと思う。俗っぽく言えば、イケスカナイ奴はイケスカナイ奴とくっ付く。



人間は、落とせば落とすほど亡者が沢山集まってくる。悪口を言い合ってて楽しい奴、他人をこき下ろして楽しい奴、因縁をつけて楽しい奴、犯罪を犯して楽しい奴。必ずそれ同志でくっ付く。

どう考えてもそのタイプの人間に、ごく普通の善良な人は口をきいてくれない。まあ、特に善良でなくてもね。だから、自然とそれ同志でつるむしかない。

いつかの煽り運転の奴を思い出そう。ああいうのが、それまでいったい何をして生きてきたのだろう。同乗していた女が止めるならまだしも、出てきて煽って殴った相手の写真を撮っていた。落語家のある人が言っていた。馬〇には馬〇がくっ付いて…。落語家でなくてもそう思う。男なら絶対に近寄りたくない女と、女なら絶対に近寄りたくないであろう男がくっ付いている。世の法則みたいなものだ。

私は絵の世界の人を自然と多く見てきたけれど、そこでも不思議にそう言うのが見られる。私から眺めるとちょっと苦手だなと思う人どうしが、何故か馬が合うみたいで、互いに持ち上げ合っているのを目撃する。

持ち上げてもらいたい人どうしが、やっぱりくっ付くんだな。引力で引き合うのかな。不思議なもんだ。

2023年8月21日月曜日

日常に潜む鬱陶しさ

あるかどうかも知れない闇の向こうの朧げなものよりも、現実の世界は遥かに鬱陶しい。家に幽霊が出るのとチンピラが因縁付けてくるのとどっちが鬱陶しいか。いままで聞いた限りでは、幽霊が金をせびった話を聞いたことがない。殴りかかってきたようなことも聞かない。しかしそう言うことがあるのが現実の世界だ。



もう一つ怖いのは知らない人から観察、もっと言えば見張られる気味の悪さだ。こうやって私も閲覧のないブログをやっている。従って世界中から見られる。公開しているから当り前だろうと言うことだが、普通に閲覧されるのと見張られるのはちょっと違うのだ。

2023年8月13日日曜日

過去の写真の怪しげから--2

影衣です、こんにちわ。

前回の続きとして、もうちょっと話を続けたい。これらも私の過去の冴えないブログで公開したものだ。かなり不気味なイメージだが、実は単純にその辺の塀に映った木漏れ日だ。


得体は知れないがかなり怖い

木漏れ日はその形によって非常に爽やかな印象を与えることもあればどことなく不気味であったりもする。原因はどこにあるだろうなと考えるが想像はつかない。大体は樹木の形や陽の入り方などにあるのだろう。精々思い当たるのはそんなところだ。


明らかに人の、それも女性の顔に見える

人と言うものはどこにでも人の顔を探し出す性格があるようだ。偶然の模様でも皴でもすぐに人の顔に見えてしまう。一方他の動物はどうなのだろうか。木漏れ日などを観察している動物(例えば犬や猫など)をあまり見たことがない。あまりというのは、たまにはあるのかも知れないから皆無とは言いにくい。

顔の次に連想しやすいものは、おそらく手じゃないだろうか。多くの心霊写真と称されるものにも無関係の人の手が写っているとかがある。そのイメージで眺めれば、右上に見えるのは誰かが何かを掴んでいる手指だろうか。


西洋映画に出て来るヤギの悪魔のようだ


叫んでいるような怖い顔

別に怖い顔でなくてもこんな具合に映し出されたものは大抵怖いイメージになっている。何故陽性の明るいものに見えないのか、私としてはここが不思議だと思うのだ。恐らくは、にこやかに笑っていても怖い顔にしか見えないだろう。上のイメージはザンバラ髪の落ち武者のように私には見える。


眼を向いた不気味な顔

何者だろうか。絵画的にはそれなりに面白いイメージだ。扱い様によっては何か描けるかもしれない。もっとも、残念なことに私にはその能力には欠けているが…。それはともかく、このタイプの顔をした人は現実にその辺に居る。日常出くわせばなんと言うことはない。

でも、ここでちょっと考えてみよう。人の顔をじっくり眺めていると、最初はそうでなくても徐々に不気味なものに見えてくる。耳眼鼻口、単独でみるとどれも気味が悪い。誰かがどこかのブログで語っていたように思う。

人の顔なんて、じっくり見たら皆お化け…。

身も蓋もないが、外れては居ないと思う。

2023年8月11日金曜日

過去の写真の怪しげから

皆様御機嫌よう、影衣です。

いくら偶然と言っても描いたものでは全くの作為の無さは証明できないかも知れない。従って、ここでは過去に当てもなく撮影した写真から怪しげなものを探してみようと思う。


と言っても実は過去のブログ(閉鎖)に公開したものだ。事実上アクセスはほぼなかったので見た人は居ないだろう。比較としては、その辺で見かける動画などで判断している。あれが心霊写真なら何でもなってしまうだろうと。つまり何気に写したブロック塀にも、それを言ってしまうなら--というものが写っている。


私としては上部に見える壊れかけの雨樋(あまどい)に瞬間の興味があったのだ。しかし写してみるとどうということはない。写真などは大抵はそういうものだ。私のような素人なら猶更。

しかしながら良く見ると、壁には異様なものが写っている。これはどう見ても人の顔ではないか。しかも嘗ての名役者宇野重吉に似ているような気がする。昔の、江戸時代かそのちょっと前の武士か素浪人に見えないだろうか。

こういうことは至る所にあって、それを心霊写真と言ってしまうと、私としては少し首を傾げるのだ。そんなことを言ったら街は心霊だらけだ。

実際そうなのだと言う人が居る。人々が気付かないだけで霊能者にははっきりわかる。だから、霊は偶然を装って自然のもので表すことがあると…。

でもそんなことを言ったらどんなことでも心霊。やっぱりちょっと頷けない。これもやはりパレイドリア現象の一つだと思う。

こういう写真があったら以後も公開したいけれど。偶然とはいえ、興味深いことは間違いない。

2023年8月6日日曜日

ブログ公開のご挨拶

このブログは世間に公開する予定は元々なかったのです。どこに登録すれば良いのか、適当な場所が見当たらない。どうせ好き勝手にメモをするようなブログで、いつか何かの役に立てばの思いでした。絵を描いているのでそちらでと思ったけれど、実は絵画系での登録は少々の事情で懲りていて、もうまったくそのつもりはない。


式神

ランキング登録などすると更新のストレスが出て来る。それじゃブログを楽しむことにならない。それでまあ、ランキング登録は考えていなかったけれど、ぼんやり眺めていたら、人文と言うのがあった。

人文なんて言うと堅苦しいが、これだって人文の範疇です。物事は概ねその範疇。この際はあまり固くは考えないでおきましょう。絵は描いているのだけど、決してそれ中心ではない。そういうブログです。これならあまり絵画論をしなくて良い。気楽にやれそう…。

タイトルからも見えるけど、世の中の日陰になった部分に関心を寄せています。といってネタがいつまであるか知れないから、いつまで続くかもしれない。そんなところでお付き合いいただければ幸いです。描くことがなければ意味不明な絵でも展示して置きます。

ということで、何だかんだで結局は登録してしまったので事実上これで世間に公開なので、そのご挨拶です。

2023年8月4日金曜日

心霊写真のかなりは?である

私自身は直ちに説明のつかない奇妙な出来事を幾つか体験している。それ故それ系の話を全て否定する気にはなれない。しかし概ねは否定的だ。

例えば昔からある心霊写真のなかにも、或いは昨今の動画などのなかにも、明らかにそれは違うだろうと言いたくなるのがある。コメ欄で指摘されたりもしている。ここは作成者にちょっとばかり注意を呼び掛けたい。でなければそれを精査する能力がないということを証明することになり兼ねない。


一見そう見えるようなものの殆どは、実際のところはパレイドリア現象だろうと個人的には思っている。試しに絵の具を無分別に散らばらせても偶然に顔のようなものはごく普通に現れてくる。人によっては心霊現象とか言いたがるだろう。そうなってしまうと私は急に興ざめする。リアル感がなくなってしまうのだ。

展示しているイメージは私が普段やっている筆ならしのどうということのないもので、言ってみれば何か描く前のウオーミングアップのようなものだ。使っている絵の具はごく普通の黒のポスカラで紙は安価なコピー用紙だ。ありきたりなもので描いている。


が、その気になって眺めればあちこちに、人の、或いは獣の顔がある。これは絵の具での描画だが、意図して描いたものではない。個人的には偶然性による描画は好みなので決して悪くはないイメージだと思っているが、心霊とは何らの関係もない。


逆さまにしたらまた別が浮かび上がる。こっちの方が恐ろし気かな?それとして眺めようと思えばいくらでも出て来る。

ではなぜこのようなことが起きるかと言えば、それは描画が偶然による部分が大きいからだと言える。私はそう考えている。このような描画では物の形をはっきりと描かない。するとつまり他の形に見える要素が増えてくるのだ。明暗も同様のことが言える。

誤解は避けたいと思う。上述したように私は奇妙な体験を幾つかしている。世間の誰に言っても、多分霊能者と称する人に言っても作り話だと思われるだろうと思う。だから、我々が認知しえない、または物理的にも考えにくい出来事はあるだろうと私は思っている。

逆に聞こえるかも知れないが、だからこそ何でも心霊ではなくて、もう少し慎重に構えたいところなのだ。エンターテイメントなら、それはそれで楽しめば良い。割り切りは必要だと思う。

もっとも、霊能者そのものを、私はあまり信じていない。過去の経験を言えば、視えている感じた人は正直皆無だ。しかも妙に偉そうだったりする。しかしだからと言って、全てを否定するつもりもない。自分には解らない領域としか言いようがない。

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八月になった。夏こそ心霊だね。それはそれで楽しもう。嫌いじゃないですよ。


2023年7月22日土曜日

偶然に浮き上がるイメージ

それが単純にそう見えるだけだ--と言うことはちゃんと理解しているつもりだ。しかし、それにしても、本当にそれだけなのかと言う気がしないでもないのだ。


一旦そう見えてしまうとどうしても気にはなる。上の絵は、なんという目論見もなく墨汁で描いた絵の一部だ。私は普段からこのような描き方をしている。何らかのはっきりしたものを描こうとの意図ではなく偶然に期待するのだ。いつからかその方が面白いと思うようになった。

絵に関しては、薄暗い森か林に濃い霧が立ち込めたか突然の雨に見舞われたかの印象を私は抱いた。霞んでいる感じが私にはそのように見える。しかしよく見るとそれだけではなく、ここにはかなりはっきりした男の顔が浮き出ているように見えるのだ。特に眼の部分は強いエネルギーがありそうな印象を受ける。


その部分だけを抜き取ってみよう。いちいち抜き取るまでもないのだが、よりわかりやすいだろう。ギロッとこちらを睨んでいるかなり鋭い男の眼があるように見える。こういうものが、全くの偶然で何故浮き上がってくるのか--と言うことに関して、私は正直なところかなり戸惑いを持っている。元々意図しない絵にそのようなものはなるべくなら現れないで欲しいのだ。

重ねて言うが、それが単純に偶然であることは理解している。つまりは単なるパレイドリア現象であり、だからあまり気にする必要もないと言うことも。一旦何かに見え始めたらあらゆるものが何かに見えないかと人は探し始めるものだ。その部分で病的になることは決してお勧めできないし自分でもなるべくはそうしないで置こうとは思う。しかしそれでも、やはり気にはなるのだ。

とはいうものの、世の中の心霊写真というものはほぼこれで解決すると個人的には思っている。だから、いくら眺めてもそのようには見えないと言う人はそれで良い。いや、多分その方が良いのだ。

2023年7月12日水曜日

お化けの木--2

この木の根っこは私の自宅から自転車で行ける距離にある。その形は、これこそまったく怪物としか言いようがない。私がデザインしてもきっとこんなに上手くは描けない。



頭は何に例えれば良いだろうか。説明する必要もない程それは可愛げのない動物のそれを連想させる。まるでミイラ化しているように見えるが、足も尻尾も見事に存在している。残念なのは前足らしきものが見えないことだが、しかしそれも何とでも解釈できるスタイルだ。



頭から眺めても充分に異様だ。といってもどこを頭にするかは任意だが、こっちから眺めても充分に異様だ。これひとつからでも充分にクリーチャーをデザインできるだろう。




回転させると異様さが倍加する。全くそれは、角の生えたモンスターでしかない。口がはっきりデザインされている。眼もある。しかも獰猛そうだ。口はご丁寧にちゃんと蝶番で開閉できるような感じになっている。



どこにでもある樹木を一本適当に選んでじっくり観察すると大抵どこかにギョッとするような部分を見つけることができるだろう。樹木の根っこは、それも朽ちていればなお悪魔的なイメージが隠れているのを知ることになる。

自然はどうしてこうなっているのか。それともパレイドリア現象で説明される如く、我々の側にその要因があるのだろうか。

向こうに見えているのは桜か梅の木だろうか、撮影はその時期だった。全くのどかな片田舎の道路脇の光景だ。この木が若かった頃はどんな形をしていたのだろうか。



2023年7月7日金曜日

お化けの木

実際樹木はかなり怪物的である。この木の根っこの形を見れば、実のところ彼らはイカやタコのような軟体動物ではないかとさえ思える。姿は完全に悪魔的だ。

この木は私の住まいから徒歩で行ける場所の汚れた川の土手に伸びている。いつからあるのかは知らない。川にはゴミが投げ込まれ、散乱という程ではないがあまり楽しめる景観ではない。

トリフィドの日とか、そんな名前の小説があった。あまり細かく覚えていないが、パイナップルのような形のお化けの木が動き回るストーリーだったと思う。最後は海水かなにかで、そんなアホなというほど呆気なくやられた。人類の危機は救われたのだ。最近リメイクされたかも知れない。リメイクは知らないが、そんなに簡単にくたばったら面白くないと思ってしまう。しかし歩くときの音がなかなかヘビーな響きで良かった。

ずっと以前から、多くの人の頭の中で樹木と怪物的なイメージは重なっている。想像を逞しくすれば更に多くのクリーチャーをイメージできるかも知れない。この木など、根っこは完全に危険な生物の触手だ。

樹木に関しては、歩けば色んなところに怪物が存在する。揃いも揃って愉快な形にならないのはどういう理由だろうか。枯木を描く絵かきは多いが、気づかぬうちにゾットする描画になっていることがある。なぜか描いている本人にはわからないようだ。


2023年6月20日火曜日

偶然に浮き上がる恐ろし気な顔

どんな描画からでも、まったく予期しないものが現れることがある。私の場合、それは決してす少なくない。意図を持って描いたものからも、或いは全くの偶然性を期待したものからでも予期せぬリアルなイメージが浮かび上がってくることがあって、それこそ意図を持って描いたとしか思えないようなものが出て来る。これがとても不思議だ。



上の絵は明らかに男の顔。どこかでみた顔をしている。唇がタラコなのでいささか違っているようにも見えるが似ていると言えなくもない。想像できるのは、きっと歴史上有名なあの人物だろう。でも、ここで言いたいのはそこではない。これは単にどこの誰でもない男を描いたものだ。



あるとき、ふとひっくり返してみたのだ。するとそこには全く別の、これまた恐ろし気な顔が浮かび上がった。上目使いで顎の尖った顔立ちのあまり歓迎したくない顔が見える。性別まではイメージしにくいが、どちらかと言えば老いた女性の顔ではないか。更に言えば、中世に誰かが描いた魔女の感じでもある。

偶然に浮かび上がってくる顔のイメージはどういう訳かどれも恐ろし気だ。愉快な顔はまずない。いったいどう理由だろう。勿論私はそれを歓迎している訳ではない。どうせ出るなら愉快なイメージの方が良い。しかしそれを無理に探してもまず見当たらない。偶然に見えるものは、それが顔であれ何であれ大方恐ろし気な印象を持っている。

点が二つあれば眼に見えて、三つあれば顔に見える。それが脳の習性だと言うことは理解できる。しかも恐ろし気なものに見えがちなバイアスを、どうやら持っているらしい。パレイドリア現象のことを考えると恐らくはそうだろうとは思うのだが、愉快なものが殆ど出てこない理由の説明になるだろうか。

しばらくの間、この辺りのことを考えたい。

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絵は一般的なコピー用紙に黒の絵の具を用いて描いた。

2023年6月14日水曜日

身の周りは恐ろし気なものに囲まれている

パレイドリア現象…。もう誰でも知っているし誰もが経験している。天井板の模様がお化けに見えることは子供でなくても普通にある。昔から人間は危険なものに囲まれて生きてきた。斧や火が使えなかった時代はどんなに危険だったろうか。そんな時代から、本能的に危険を察知する能力が鍛えられて、今もそれが残っているのだという。



理屈としてはわかる。多分その通りだ。しかしそれにしても、なかには誰かがホラー映画のために考えたとしか思えぬほどのものががある。私が描いても作ってもそう上手くはできない。

上の写真はなんだろう。以前他のブログでも公開したものだが、これは単なる木の幹だ。いったい何があってこのような模様ができるのだろうか。ここにはあまり愉快ではない、顔に似た模様が幾つも読み取れる。どこかの霊能者なら、古い樹木には古霊が宿っていると言いそうな気配ではないか。



逆さまにしてみたら更に怖い。こうなると誰が何を言うでもなくホラー映画にでも出てきそうな気配だ。実はこっちが元で、上の写真は回転させている。特に大きな理由はないが、どっちから見ても怖い。

個人的に思うのだが、描画の対象とする場合、樹木はかなり用心する必要があると思う。樹木はただでさえ恐ろし気な雰囲気を漂わせていることが多い。絵を描く人の中にはリアルを目指すばかり写真トレースのような絵を描く人が居る。そうすると不愉快なイメージが画面の中に知らぬ間に入り込んでしまう。不思議なことに描いている本人は気付かないのだが、それでもふと気付いたら、きっとギョッとするだろう。後にその関係の記事を書いてみよう。

しかしながら樹木は私の絵のなかではかなりのウエイトを持っている。ダークなファンタジーやホラー映画が好きなのだ。この辺は単純な趣味だ。

2023年6月10日土曜日

不安な夢

寝ている間に、人は予想以上に沢山の夢を見ているという話がある。睡眠と共にそれはドンドン入れ替わって、覚えているのは目覚める直前の夢だけらしい。私は夢を多く見る方ではないかと思っているが、正しくはよく記憶している方であるらしいということだろう。


逃げている私

もっとも、他人になったことがないので比較はできない。周辺の人に比べたらということだが、そう思えるものがある。根拠という程のものはないが…。

夢の話は作り話--と言っている人が居た。有名な役者さんだった。彼にとっての夢はそうなのだ。この辺りから想像がつく。その方は極端にしても、一般の人は、多分私よりも夢見が少ない。正確に言えば記憶していない。

2023年6月8日木曜日

テスト投稿--2

このブログをどうするかなんて、実のところ全然決めてない。決まってるのは不安なイメージだけを公開することだけ。鬱陶しくて不安というのだから明るいイメージの絵はない。取りあえずブログの感じがどうなるかのテストなのでしばらくは適当なイメージを貼り付けてみたい。



このブログはBloggerで作っているけど、これだってどうなるか知れない。Bloggerは編集しやすくて良いのだが、スマホ表示を考えるとあまりできの良いスキンというか、選べるデザインが少ない。しかもレスポンシブは奇妙なデザインばかり。現在のテーマは古い基本的なものだが、スマホでの表示がちょっと田舎臭い。我慢はしているけど、登録サイトへ行く前に一応の決断をしたいと思う。あまり増えてから他へ引っ越すのは手間ですからね。

しばらくはテスト投稿。文面の調子だってブログに合っている形を選びたいから、色々とやってみたい。

2023年6月5日月曜日

テスト投稿

 大したことはないが絵を描いています。これは実験的なブログ。


青が漂う

ここに展示する絵は、鬱陶しくて怪しくて不安なものが多いです。個人の呟きが多いので基本的にデスマス調は使いません。以後はご容赦。