2023年11月28日火曜日

距離の取れない人の鬱陶しさ

人には誰でもそれ以上は立ち入るなという境界線を持っている。ズケズケとした輩も不快だが、表面は丁寧でも、何度も執拗に接近してくるのも気味が悪い。私もここでちょっとした絵を公開しているが、絵画系に登録していないのはそれ故でもある。元々オカルトっぽい絵にしてあるのであまり公開する意味もないが…。




ずっと以前に、ごく何でもない水彩画のブログを公開していた。だが、そこでのそれこそなんでもない記事が、多分相手が普段気にしていることか、あるいは図星だったかも知れないが、その辺に触れたのだろう。以後、こちらでなにか書くとそれに絡むような記事を執拗に書くようになった。

一度そうなると記事は見張られる。相手は絵画サークルの先生のようだが、同じランキングサイトのカテゴリーに登録しているので、一旦こうなるとかなり嫌らしい。ブログは公開しているものなので誰が閲覧しても良いのだが、見張られる感じはちょっと違って気味が悪いのだ。こちらの考え、技法に関しての記事、単純な言葉にいちいち絡んでくるようになった。2日も3日続く。

これじゃ記事は書けない。続ける意味はないと思った私はブログを一旦閉じて、別の警告ブログを作った。名指しはしないが、このような行為はやめようと。今はそのブログも別目的に使っているが、面倒くさいことだった。

相手と適度な距離の取れない人というのは、間違いなく粘着質だ。こちらを褒めていても実はかなり危険だ。ちょっとしたことで敵対者に回る。世の中のどこにでもそれを見ることができる。ちょっと前には仲良さそうだったのに今は罵り合っているのを目撃したりもする。

ブログのコメントも返答に困るような押し付けがましさがあったり同調を即すようなのがあったらこちらもどう対応したものかと困ってしまうことがある。それでしばらく無反応でいたら、あからさまに批判者に回る、そんなこともあった。

親切のつもりで、ちょっと相手に執拗だったりすることは割りと誰にでもある。親切心の強い人は意外にそうかも知れない。しかしそれが押し付けになると具合が悪い。一般人はそこに気付く神経を持っているが、粘着質は持たない。悪意を持って絡んでくる人はもとからそれがない。

これは私の数少ない経験だが、自分を言葉で飾る人はほぼ例外なく粘着質だ。とにかくサラッとしない。

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