例外はないだろう。暗闇はあらゆる動物の、つまり夜行性でない限り、危険を察知するための本能が働くのだと思う。人は幼い時、誰もが暗闇を恐れた。
幼児であった頃、正確には小学生の低学年に当たるまでの年齢だが、私は周囲を畑と林と池に囲まれた粗末な長屋に住んでいた。年齢がバレてしまうのだが、まだ冷蔵庫も扇風機もない時代だった。冬はどうしていたのか、もうとっくにそんな記憶はなくなってしまった。
私は周辺の散策が楽しみだった。特に水のある所には魅せられた。その多くはザリガニ釣りに費やされ、藻で緑に覆われた水面を見るのが楽しかった。遊び惚けた。友達と一緒だったこともあるが多くはひとりだった。年齢の近い子供が周りに居なかったのだ。
ザリガニ釣りは、きっと誰かに教わったのだろう。奇妙なことに、私は釣りが下手だった。その後フナ釣りに移行しても上手くはならなかった。そんなことはあるのだが、遊んでいることそのものが楽しかった。その楽しさは、キャッキャとはしゃぐ性質のものでは無論ない。知らない場所へ行く不安混じりが妙に楽しかったのだ。
今から見れば小さな空間に違いない。当時住んでいた辺りを地図で眺めてみても、大人が歩けば知れている。そんなところで未知の世界を求めた。池や林で遮られると脳の中で空間は拡がる。いつしか夕方になった。昔は夕食時間が早かった。寝るのも早かった。テレビもなかったから当然だったが、一般の人々の活動時間は早起き老人と同じだったのだ。
夕食時に家に帰っていないと随分叱られた。その恐ろしさもあれば急いで走って帰ったのだが、時には遅くなることもあった。そしてある時、いつになく暮れてしまったことがあった。周りが全部黒いシルエットに見え始めた。迷子になるかも知れない恐ろしさも湧いてきた。何かから逃げるように走って、その時はどうにか帰れたが、人の姿のない林でドンドン暗くなって行く世界を初めて体験した。その林とて、きっと林とも言えぬ程度の樹木の集まりだったに過ぎない。家で叱られたかどうかはもう覚えていない。
実際に迷子になる子供は割と存在していたように思う。大人が探して、結局事件にはらならなかったが、手を引かれて泣きながら帰ってくる子供の姿を遠目に眺めたことがあった。本当にもう微かにしか思い出せないが、その光景がより怖かったのを思い出す。
誰でも聞いたことがある。早く帰らないと子取りにさらわれるよと。子供は皆信じていたと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿