2025年4月27日日曜日

例の異音がかなり近くで聞こえた

やっぱり飛行機なんかじゃない。明らかにどこかの民家から出ている。昨夜はしかも遠くない。自家発電機が回るような音。



アッと思って直ぐに外へ出てみたが、音は既に止んでいた。まるでこっちを見ているみたいだ。発見されてなるものかと。

しかし、そうなるとそれはそれで奇妙だ。以前は明らかに別の方向から、しかも距離のある所から響いていた。

これはいったいどういうことか。自家発電機を備えた家が何軒かあるのか。しかも僅か数十秒だけ聞こえたりする。

いつか明らかにしてやるぞと思うが、外に出れば止まるしで決め手がない。近所に話しても誰も知らぬというだろうし、現にそうだったしでその糸口すら相変わらず見当たらない。

2025年4月19日土曜日

あらたな不安

いや、不安はずっと前からあるのだ。これに関して気付いたのはもう三年近くも前だ。 しかも振り返ると、その前兆は更に数年前に現れていた。なんとなく妙な具合だなとは思っていた。



それは一旦収まったかに見えた。が、錯覚だった。その状態に身体が慣れたのだろう。しかし物事は進行する。やがて顕著になった。

試行錯誤を繰り返した。あのせいではないかこのせいではないか。それを解決するために随分な時間と金を使った。が、一部を除いて大方は外れた。

あまり詳しくは述べない。ここはそれを語るブログではない。少し結論を言うと、医療機関で処置を受けねばならなくなったのだが、これに関しては世間では意見が様々で、実はAIの回答ですらあまりあてにならないと思う。

そのこととともに、以後は医療機関とずっと付き合わねばならないことだ。これが煩わしい。膨大な時間を取られる。そもそも私は別件で問題を抱えている。

命には別条ない。そんなことではないが、厄介なのだ。面倒なら医療機関に頼らないこともあり得る。どちらを選ぶかは判断が難しい。私は素直に医療機関の厄介になることにした。しかし結果には常に不安が生じる。

しょうがないな、そんな諦めが今は肝心なのかも知れない。なるようになるということ。抵抗のしようのないことには抵抗しても無駄だ。そもそも衰えというのはそういうものだ。

残りの人生をどうしようかと、ふと考える。

2025年4月12日土曜日

その後も例の女性と遭遇しているが

視えるというあの女性だ。何度か居酒屋で遭遇しているが、あっちが完全に無視しているので視線を合わさない向きに座っているならあまり問題はない。来てるじゃないか、とママに言う。知らない顔しときなさい、とママは言う。こっちも無視してろというのだ。女性に対しては全体がそんな感じだ。



あっちこっちから敬遠されているという割にはいつもグループで店にやって来る。いつかカウンターに居た男がなにやら電話していると思ったら、多分女性を呼んだのだと思うが、しばらくするとやってきた。男は席を移動して女性の近くに座った。どう見ても親しいのだ。

話の割には親しい人も居るじゃないかとママに言うが、いや、あの娘はいつも一人よという。店の中のことだから違うものが見えているはずがないのだが、これがとても奇妙だ。私がその店で見る限り、女性がひとりだったことはない。

あてにならない本人の弁では、過去に100人近い女性を使って商売をしていたらしい。誰もそれを信じないが、どうやらはっきりしていることは、今は生活保護を貰って近くのアパートに居るらしい。生活保護でそんなに飲めるのか。この周辺では出禁になっている店もあるが、出禁にならない店で飲んでいる。店も商売だから、よほどのことがないと出禁にはしないが、出禁の店ではなにがあったのだろう。あまりほじくってもしょうがないが、出禁とはっきり言った訳じゃないが、もう来ることはないと店は言う。それなりのトラブルがあったのだろう。出禁にならない店でも他の客とトラブルがあるので鉢合わせすると厄介なのだそうだ。

ピントがイマイチこないが、それはそれで奇妙な女性だと思う。調べれば小説の一本くらいは書けるだろうか。案外豪傑なのかも知れない。