詳しく説明するのがとても厄介なのでなにを言ってるのかわからないだろうけど、ここは自分の覚えとしておく。家の老朽化に関して対策している。7月に不具合を発見して以来苦労している。不具合はその何年も前からあったのだが気づかずにいた。
そのことはともかく、あれこれの勘違いな推理をしたりがあって問題の部分にたどり着くまでに時間を要したが、そのとき応急処置をして対策が出来そうであることを確認した。応急であるから完全ではない。それを完全なものにした、はずだった。しかしなにを勘違いしたのか、その隣の無関係な場所をいじっていて、肝心な場所を放置してしまった。結果からはそういう結論しか出ない。
奇妙なことに、あの部分はどうなっているのか、とふと後で気になった。それでチェックに戻った。これは現実だ。頭の隅っこで気になっていたのだ。しかしその時になにをチェックしたのか、目視で終わらせてしまった。これがなぜかわからない。その部分は手で探らねばわからないのだ。応急処置はできていたのだからその時手を加えていたのは間違いない。だが、その部分が何故頭から抜けるのだろうか。結果的に不具合が出て現在また応急処置をしてなんとかなっている。以後は適当な日にそこをセメントで固める必要がある。いや、何とかなっているならもうこのままで良いか。下手なことをしたら厄介だ。ついそんな気になる。
この部分を何度も振り返って考えている。何故こうなっているのか、途中あれこれのいくつもの推理をした。原因と対策を推理しながら考えたわけだ。それが案外邪魔をしたかもしれない。下手な推理をし過ぎて他の部分へ関心が移ったのかもしれない。なんともわからない。
うまく説明できないが、しかし自分が読めば、ああ、あのことだとわかる。今はそれでよい。こんな状態だから下手な結論は出さぬ方が良い。これとわかるまでは決めてかからない方が良い。思い知ったのはそのことだ。
何度思い返してもその部分を応急処置した記憶がない。しかししていたから不具合が止まった。これも間違いないのだ。その時どう推理して行動していたのか、まことにはっきりしない。
人間は違ったことを思い込んで記憶することがある。どうやらそういうことだったのだろうか。

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