2023年8月26日土曜日

類は類を呼ぶ

本来は--類は友を呼ぶ--と言うのだそうだ。しかし私はずっとタイトルのような言い方をしていた。その方がピッタリだと思う。俗っぽく言えば、イケスカナイ奴はイケスカナイ奴とくっ付く。



人間は、落とせば落とすほど亡者が沢山集まってくる。悪口を言い合ってて楽しい奴、他人をこき下ろして楽しい奴、因縁をつけて楽しい奴、犯罪を犯して楽しい奴。必ずそれ同志でくっ付く。

どう考えてもそのタイプの人間に、ごく普通の善良な人は口をきいてくれない。まあ、特に善良でなくてもね。だから、自然とそれ同志でつるむしかない。

いつかの煽り運転の奴を思い出そう。ああいうのが、それまでいったい何をして生きてきたのだろう。同乗していた女が止めるならまだしも、出てきて煽って殴った相手の写真を撮っていた。落語家のある人が言っていた。馬〇には馬〇がくっ付いて…。落語家でなくてもそう思う。男なら絶対に近寄りたくない女と、女なら絶対に近寄りたくないであろう男がくっ付いている。世の法則みたいなものだ。

私は絵の世界の人を自然と多く見てきたけれど、そこでも不思議にそう言うのが見られる。私から眺めるとちょっと苦手だなと思う人どうしが、何故か馬が合うみたいで、互いに持ち上げ合っているのを目撃する。

持ち上げてもらいたい人どうしが、やっぱりくっ付くんだな。引力で引き合うのかな。不思議なもんだ。

2023年8月21日月曜日

日常に潜む鬱陶しさ

あるかどうかも知れない闇の向こうの朧げなものよりも、現実の世界は遥かに鬱陶しい。家に幽霊が出るのとチンピラが因縁付けてくるのとどっちが鬱陶しいか。いままで聞いた限りでは、幽霊が金をせびった話を聞いたことがない。殴りかかってきたようなことも聞かない。しかしそう言うことがあるのが現実の世界だ。



もう一つ怖いのは知らない人から観察、もっと言えば見張られる気味の悪さだ。こうやって私も閲覧のないブログをやっている。従って世界中から見られる。公開しているから当り前だろうと言うことだが、普通に閲覧されるのと見張られるのはちょっと違うのだ。

2023年8月13日日曜日

過去の写真の怪しげから--2

影衣です、こんにちわ。

前回の続きとして、もうちょっと話を続けたい。これらも私の過去の冴えないブログで公開したものだ。かなり不気味なイメージだが、実は単純にその辺の塀に映った木漏れ日だ。


得体は知れないがかなり怖い

木漏れ日はその形によって非常に爽やかな印象を与えることもあればどことなく不気味であったりもする。原因はどこにあるだろうなと考えるが想像はつかない。大体は樹木の形や陽の入り方などにあるのだろう。精々思い当たるのはそんなところだ。


明らかに人の、それも女性の顔に見える

人と言うものはどこにでも人の顔を探し出す性格があるようだ。偶然の模様でも皴でもすぐに人の顔に見えてしまう。一方他の動物はどうなのだろうか。木漏れ日などを観察している動物(例えば犬や猫など)をあまり見たことがない。あまりというのは、たまにはあるのかも知れないから皆無とは言いにくい。

顔の次に連想しやすいものは、おそらく手じゃないだろうか。多くの心霊写真と称されるものにも無関係の人の手が写っているとかがある。そのイメージで眺めれば、右上に見えるのは誰かが何かを掴んでいる手指だろうか。


西洋映画に出て来るヤギの悪魔のようだ


叫んでいるような怖い顔

別に怖い顔でなくてもこんな具合に映し出されたものは大抵怖いイメージになっている。何故陽性の明るいものに見えないのか、私としてはここが不思議だと思うのだ。恐らくは、にこやかに笑っていても怖い顔にしか見えないだろう。上のイメージはザンバラ髪の落ち武者のように私には見える。


眼を向いた不気味な顔

何者だろうか。絵画的にはそれなりに面白いイメージだ。扱い様によっては何か描けるかもしれない。もっとも、残念なことに私にはその能力には欠けているが…。それはともかく、このタイプの顔をした人は現実にその辺に居る。日常出くわせばなんと言うことはない。

でも、ここでちょっと考えてみよう。人の顔をじっくり眺めていると、最初はそうでなくても徐々に不気味なものに見えてくる。耳眼鼻口、単独でみるとどれも気味が悪い。誰かがどこかのブログで語っていたように思う。

人の顔なんて、じっくり見たら皆お化け…。

身も蓋もないが、外れては居ないと思う。

2023年8月11日金曜日

過去の写真の怪しげから

皆様御機嫌よう、影衣です。

いくら偶然と言っても描いたものでは全くの作為の無さは証明できないかも知れない。従って、ここでは過去に当てもなく撮影した写真から怪しげなものを探してみようと思う。


と言っても実は過去のブログ(閉鎖)に公開したものだ。事実上アクセスはほぼなかったので見た人は居ないだろう。比較としては、その辺で見かける動画などで判断している。あれが心霊写真なら何でもなってしまうだろうと。つまり何気に写したブロック塀にも、それを言ってしまうなら--というものが写っている。


私としては上部に見える壊れかけの雨樋(あまどい)に瞬間の興味があったのだ。しかし写してみるとどうということはない。写真などは大抵はそういうものだ。私のような素人なら猶更。

しかしながら良く見ると、壁には異様なものが写っている。これはどう見ても人の顔ではないか。しかも嘗ての名役者宇野重吉に似ているような気がする。昔の、江戸時代かそのちょっと前の武士か素浪人に見えないだろうか。

こういうことは至る所にあって、それを心霊写真と言ってしまうと、私としては少し首を傾げるのだ。そんなことを言ったら街は心霊だらけだ。

実際そうなのだと言う人が居る。人々が気付かないだけで霊能者にははっきりわかる。だから、霊は偶然を装って自然のもので表すことがあると…。

でもそんなことを言ったらどんなことでも心霊。やっぱりちょっと頷けない。これもやはりパレイドリア現象の一つだと思う。

こういう写真があったら以後も公開したいけれど。偶然とはいえ、興味深いことは間違いない。

2023年8月6日日曜日

ブログ公開のご挨拶

このブログは世間に公開する予定は元々なかったのです。どこに登録すれば良いのか、適当な場所が見当たらない。どうせ好き勝手にメモをするようなブログで、いつか何かの役に立てばの思いでした。絵を描いているのでそちらでと思ったけれど、実は絵画系での登録は少々の事情で懲りていて、もうまったくそのつもりはない。


式神

ランキング登録などすると更新のストレスが出て来る。それじゃブログを楽しむことにならない。それでまあ、ランキング登録は考えていなかったけれど、ぼんやり眺めていたら、人文と言うのがあった。

人文なんて言うと堅苦しいが、これだって人文の範疇です。物事は概ねその範疇。この際はあまり固くは考えないでおきましょう。絵は描いているのだけど、決してそれ中心ではない。そういうブログです。これならあまり絵画論をしなくて良い。気楽にやれそう…。

タイトルからも見えるけど、世の中の日陰になった部分に関心を寄せています。といってネタがいつまであるか知れないから、いつまで続くかもしれない。そんなところでお付き合いいただければ幸いです。描くことがなければ意味不明な絵でも展示して置きます。

ということで、何だかんだで結局は登録してしまったので事実上これで世間に公開なので、そのご挨拶です。

2023年8月4日金曜日

心霊写真のかなりは?である

私自身は直ちに説明のつかない奇妙な出来事を幾つか体験している。それ故それ系の話を全て否定する気にはなれない。しかし概ねは否定的だ。

例えば昔からある心霊写真のなかにも、或いは昨今の動画などのなかにも、明らかにそれは違うだろうと言いたくなるのがある。コメ欄で指摘されたりもしている。ここは作成者にちょっとばかり注意を呼び掛けたい。でなければそれを精査する能力がないということを証明することになり兼ねない。


一見そう見えるようなものの殆どは、実際のところはパレイドリア現象だろうと個人的には思っている。試しに絵の具を無分別に散らばらせても偶然に顔のようなものはごく普通に現れてくる。人によっては心霊現象とか言いたがるだろう。そうなってしまうと私は急に興ざめする。リアル感がなくなってしまうのだ。

展示しているイメージは私が普段やっている筆ならしのどうということのないもので、言ってみれば何か描く前のウオーミングアップのようなものだ。使っている絵の具はごく普通の黒のポスカラで紙は安価なコピー用紙だ。ありきたりなもので描いている。


が、その気になって眺めればあちこちに、人の、或いは獣の顔がある。これは絵の具での描画だが、意図して描いたものではない。個人的には偶然性による描画は好みなので決して悪くはないイメージだと思っているが、心霊とは何らの関係もない。


逆さまにしたらまた別が浮かび上がる。こっちの方が恐ろし気かな?それとして眺めようと思えばいくらでも出て来る。

ではなぜこのようなことが起きるかと言えば、それは描画が偶然による部分が大きいからだと言える。私はそう考えている。このような描画では物の形をはっきりと描かない。するとつまり他の形に見える要素が増えてくるのだ。明暗も同様のことが言える。

誤解は避けたいと思う。上述したように私は奇妙な体験を幾つかしている。世間の誰に言っても、多分霊能者と称する人に言っても作り話だと思われるだろうと思う。だから、我々が認知しえない、または物理的にも考えにくい出来事はあるだろうと私は思っている。

逆に聞こえるかも知れないが、だからこそ何でも心霊ではなくて、もう少し慎重に構えたいところなのだ。エンターテイメントなら、それはそれで楽しめば良い。割り切りは必要だと思う。

もっとも、霊能者そのものを、私はあまり信じていない。過去の経験を言えば、視えている感じた人は正直皆無だ。しかも妙に偉そうだったりする。しかしだからと言って、全てを否定するつもりもない。自分には解らない領域としか言いようがない。

-------------

八月になった。夏こそ心霊だね。それはそれで楽しもう。嫌いじゃないですよ。