夢の中では、自分が複数に分かれている時がある。飽くまで夢の中での話だ。ちょっとややこしいのだが、同時に存在しているとは確認できない。つまり二つに別れていた場合、双方が同時に自分だったとまでは言えない。
はっきりしたことは言えないが、確か3つくらいに分かれていたことがある。これは作り話ではない。飽くまで夢の中での話だ。最初私は誰かと話していたが、いつの間にか話している相手側になっていると思えることがあった。こんな夢はどんな条件のときにみるのだろうか。それとも何らの要因はないのか。
夢の中では、自分が複数に分かれている時がある。飽くまで夢の中での話だ。ちょっとややこしいのだが、同時に存在しているとは確認できない。つまり二つに別れていた場合、双方が同時に自分だったとまでは言えない。
はっきりしたことは言えないが、確か3つくらいに分かれていたことがある。これは作り話ではない。飽くまで夢の中での話だ。最初私は誰かと話していたが、いつの間にか話している相手側になっていると思えることがあった。こんな夢はどんな条件のときにみるのだろうか。それとも何らの要因はないのか。
明晰夢とも言うのだったか、わざわざ難しい言い方をするものだ。つまりは自分が夢の中にあることを自覚することを言うのだろう。
ある一定のパターンがある。ちょっとした斜面に差し掛かって、足が急に重くなる。全然進まない。この手の夢を子供の頃から何度もみている。さすがにそうなると、これは夢を見ているのだと夢の中で判断できる。私はそうなった。
年が明けて既に九日目。この間冴えない仕事で手がいっぱいだった。他のことができなかった。いつの頃からか、うま味のある仕事がなくなった。衰えて行く脳みそと体力でいつまで仕事が続けられるのか、それだってもうあまり楽観的な見通しはたたない。
いきなり大きな地震やそれに絡んでの羽田での事故があった。災害や事故は暦と無関係だからそれ故今年は暗いとかはないのだけど、当家の周辺は殆ど信じられない程の静けさで、正月の華やかさなどとっくに無くなっている。コロナ以後は神社の花火も上がらない。以前は年明けと同時に上がっていたのだ。