2024年8月31日土曜日

話の小休止にアートを

ちょっと更新を怠った。しかし、それがストレスにならぬようにしたい。ブログはそれで良いのだと思っている。作ってしまうとついつい更新が気になるものだが、ここは本来それを気にする程のブログではない。


その場所--1

ちょっとばかり身辺厄介事に見舞われている。その一つは自分の安易さと怠け心が招いた結果だが、それはいつかやっつけねばならない。一つは健康問題だ。元々それを引きずって生きているが、別のことが加わってしまった。これに関しては、ある種の決断めいたことを強いられてる。本音では決断を先延ばしにしたい。他に打つ手はないか色々と考えたりしているわけだ。無駄に終わるかも知れないが、実は若い頃からこの面では何度も辛い思いをしている。どれか一つでも取れてくれないかと思いつつ生きてきて、そろそろこの歳になればというところまで来た。そこへ思っても居ない厄介ごとを抱えた。人には定めと言うものがあって、逃げられないものだが、それでもどうにか生きるしかない。

2024年8月15日木曜日

空間から髪の毛が出現するアパート--7

かような状態だから居心地が良かろうはずがない。しまったなあとは思った。だが眼の前には仕事があり、当時は本当にチェーンワーキングとでもいうのか、次から次への仕事に追われてズルズルと日々を送っていた。



前の住人は板前さんだったというが、殆ど部屋にはいなかったらしい。そんな人の方が良いのだと大家からの条件だったそうだ。それを不動産屋が押し切った。いいんだよ入っちまえば…。その時は深く考えなかった。その事情は前に述べたが、こうしてみるとやっぱり訳アリだったのだ。

前住人が部屋に何を置いていたのか知らないが、真ん中の三畳間には、一か所畳に強いへこみがあって、その部分がラッパ型に開いたようなへこみになっていた。ここに一体何を置いていたのかと思ったが、それ程気にはしなかった。これも、入る時にもっと点検して大家に言うべきだった。最後にこの件で大家に恩着せがましく言われることになった。

がしかし、精々この程度なら、不快ではあるが我慢できないこともない。こんなとき、人はそういうバイアスをかけ始める。自分もそうなっていた。銭湯の帰りに大衆食堂でビールをやりながら、周りは下町っぽいし何でも手の届くところで買えるし、住環境そのものは悪くない。部屋からは巣鴨の商店街も近いし、もとより大塚の駅前も賑やかだ。どこへ出るにも近い。慣れればこれはこれで快適だ、時折入ってくる煤はちょっと気味が悪いが、どうしてもという時はまた別を探そう、そんな風に思い込ませつつあった。

そうしているうちに、奇妙なことが起きたのだ。

2024年8月13日火曜日

話を挟むが近所の猫が

街に向かう坂道に人馴れした猫が居た。さわっても怒らず、どころか通行人に合図してさわってもらうタイプの猫だ。どこかの飼い猫であることは確かだが、普段は周辺をうろついているが大体は同じところに居る。

その猫が、いつの頃からかバッタリ見かけなくなった。暑すぎるのかとも思ったが、こんなに暑くなる前から見かけない。

その辺りを通りかかる時、付近の人を見かけたら訊いてみようかと思ったが、何故か人すら見かけない。偶然なんだが、近所の人もあまり外に出てどうのという街ではないのだ。車通りはあるのだが。

猫はある時バッタリ見かけなくなることがある。以前住んでいたアパートの大家の猫も二年行方不明だったが、あるときフラッと戻ってきた。大家一家は皆首をかしげていた。二年もどこにいたのだろうか。きっとどこかで閉じ込められていたのだ。そんな話すら出た。

思い出すのは、例のアパートのことだ。懐いた猫がピタッといなくなる。あれは何だったのだろう。猫はそれっきり見かけなかった。その時と同じとは言わない。全然話は違うのだが、つい思い出したのだ。坂道の猫はどうなったのだろう。気まぐれでどこかへ行ってればいいがと思う。